二件目の依頼は、猫探しだった。
『いなくなった猫を探してほしい。白黒ぶち。名前はフク。見つけたら10Ø』
依頼主は、町外れに住むおばあさんだった。フクは三日前からいなくなったきり、ごはんの時間にも戻ってこないという。
「あの子はね、ごはんだけは絶対に忘れないんだよ。雨の日も、喧嘩して帰ってきた日も。……だから、心配でねえ」
キーラは半日かけて、町じゅうを歩き回った。
魚屋の裏はいなかった。ただし魚屋のおじさんいわく「フクなら三日前まで毎朝来てたが、急に来なくなった」らしい。日当たりのいい塀の上には、別の猫がいた。教会の軒下には鳩しかいなかった。
「猫探しのコツはねえ、嬢ちゃん」
途中で出会った物知りの隠居いわく、「猫ってのは、いなくなるときは理由があるんだ。喧嘩か、怪我か、閉じ込められたか——それか、こっそり大事な用事ができたか、だね」とのことだった。
大事な用事。ごはんより大事な用事って、なんだろう。
昼を挟んで、聞き込みの範囲を広げた。井戸端のおばさんたちは、「フクちゃん? そういえば見ないねえ」の合唱。しかしその中に、三日前の朝、魚屋の方角へ歩くフクを見た人が一人いた。荷馬車の御者に尋ねると、「猫は知らんが、猫嫌いの犬なら三丁目にいる」とのこと。パン屋の看板娘は、「うちの窯の裏、冬は猫の集会所なんですけど、今の時期は暑いから来ませんよ」と言っていた。
歩き回りながら、キーラは気づいた。猫一匹探すだけで、町の人の暮らしがこんなに見える。誰が早起きで、どこの路地が日当たりがよくて、誰と誰が井戸端で仲良しか。猫探しというのは、半分、町探しだった。
(依頼って、面白いなあ。屋根と荷運びと猫、って思ってたけど……ぜんぶ、町の中身を見る窓なんだ)
決め手は、粉屋のおかみさんの世間話だった。
「そういえば最近、屋根裏でみしみし音がするんだよねえ。ネズミにしちゃ大きいし、気味が悪くて」
魚屋のそば。人の来ない屋根裏に、あったかい粉袋。——ぜんぶつながった。
梯子を借りて、粉屋の屋根裏を覗くと——いた。
白黒ぶちの猫が、古い麻袋の上で、香箱を組んでいた。そしてその腹のあたりに、白いのと、黒いのと、ぶちのが一匹ずつ。
「……フクさん。あなた、お母さんになってたんですね」
いなくなったのではなかった。ごはんより大事な用事が、できていたのだった。
フクはキーラを見上げて、警戒とも挨拶ともつかない「なう」を一声だけ出した。子育て中の母猫に、無理は禁物である。キーラは手を出さず、そっと梯子を降りておばあさんを呼びに走った。
「フク! まあ、まあまあ、あんた……あんたって子は!」
依頼主のおばあさんは、子猫を見るなり泣いて喜んで、報酬の10Øに子猫を一匹つけようとした。しかし旅に猫は連れていけないので、丁重にお断りした。かわりにカゴいっぱいのお菓子をもらい、フク一家が粉屋の屋根裏に円満に居着けるよう、粉屋との交渉だけ手伝った。
依頼の二件目、完了。冒険者というのは、思っていたのとだいぶ違うけれど、これはこれで悪くない仕事だった。
✦ ✦ ✦
その帰り道、ミレットの市場でキーラの足が止まった。
市場の隅の隅。いちばん人通りの少ない角に、小さな野菜の露店が出ていた。台の上には、みずみずしいカブと青菜の山。売り手は、キーラより少し下くらいの女の子と、その弟らしいちびっこの二人きり。
そして、客がひとりもいなかった。
「……売れてないねえ」
思わず立ち止まったのは、野菜が悪いからではなかった。むしろ逆だ。カブは肌がつやつやで、葉までぴんとしている。今朝採りだと、ひと目で分かる。ナビアの市場なら、昼前に売り切れる品だった。
「あの、これ、おいくらですか」
「え、あ……カブふたつで、1Øです……」
女の子の声は、蚊の鳴くようだった。聞けば農家の娘さんで、父親が腰を痛めたので、初めて姉弟だけで市に出たのだという。場所は空いていた隅っこを借りた。声の出し方も、値段のつけ方もよく分からない。
キーラは、台の上の野菜と人の流れと、まわりの店をぐるりと見た。
商人の娘の頭が、かちかちと算盤を弾きはじめた。
「……ねえ。ちょっとだけ、お手伝いしていい?」
✦ ✦ ✦
まず、場所は変えられない。なら、人を呼ぶしかない。
「らっしゃい、らっしゃい! 今朝採りのカブだよ! 葉っぱを見て、この葉っぱ! 立ってるでしょ、新鮮の証拠!!」
キーラの呼び込みは、市場の反対の端まで届いた。ナビアの市場で鍛えた声である。道行く人が、なにごとかと隅の露店を振り向く。
次に見せ方。カブの山を、いちばん器量よしの面が上を向くように積み直す。山のてっぺんが、店の顔。父の教えその一。
それから、売り方。
「カブふたつで1Ø! 葉っぱも食べられるから、実と葉で二度お得! ……あ、お姉さん、スープにするの? なら青菜も一緒にどうです、まとめて三つで1Øちょうど!」
端数の出ない値付けは、直接払いの町ではそれだけで喜ばれる。父の教えその二。
おまけは値引きより、一品足せ。父の教えその三。
途中、一度だけ、ひやりとする場面があった。強面のおじさんが、カブをひとつ掴んで、「これで半Øにしろ」とごねたのだ。女の子が凍りつく横で、キーラはにっこり笑った。
「お客さん、うちは1Ø未満のコインがないの、ご存じでしょ? 端数商売はできません。——でも、カブふたつで1Øなら、実質おんなじですよ。奥さんと一個ずつ」
「……独り身だ」
「なら、今日と明日で一個ずつ! カブは日持ちしますから!」
おじさんは、ぐ、と詰まって、それから笑って1Ø払った。ごね得を許さず、しかも客の顔も立てる。値切り返しの呼吸、父の教えその四である。
女の子が「い、今の、どうやったんですか」と目を白黒させ、キーラは「慣れ!」と胸を張った。
三十分もすると、露店の前には小さな列ができていた。
「あら、ほんとにいい葉っぱ」
「でしょう! お姉さん、目が高い! 今夜はカブの葉のおひたしで一杯、決まりですね!」
「ふふ、じゃあ、ふた山」
「まいどありがとうございます! ——ほら、握手」
女の子の手を取って、客との握手のやり方も教えた。おずおずと手首を捻った女の子は、てのひらに流れ込んだ1Øに、目を丸くした。生まれて初めて、自分の育てた野菜が、自分の手で時間に変わった顔だった。
「い、いま、あったかいのが……」
「それが商売だよ。あなたの百日が、ちゃんと届いた音」
弟のちびっこには、呼び込みの相の手を仕込んだ。「今朝採り!」「今朝採り!」「新鮮!」「しんしぇん!」——舌足らずな復唱は、キーラの口上より客を集めた。子どもの呼び込みは最強である。それは、幼いころのキーラで実証済みだ。
姉弟は目を回しながら野菜を包み、キーラは声を張り、握手して捻って、また声を張った。
日暮れ前に、台の上は空になった。
「す、すごい……ぜんぶ、売れた……」
「野菜が良かったんだよ。わたしは声を出しただけ」
女の子は何度も何度も頭を下げて、それから売り上げの一部を渡そうとした。しかし、キーラは首を振った。
「いらない。……そのかわり、ひとつだけ」
キーラは父の受け売りを、そっくりそのまま口にした。
「明日からも、いちばんいい面を上に向けて積むこと。それと、値札を大きく書くこと。あなたの野菜は、恥ずかしがる出来じゃないよ」
夕方、宿に戻ろうとしたキーラを、市場の入り口で呼び止める声があった。
腰を曲げた男の人が、姉弟に両脇を支えられて立っていた。畑の土の染みた手を見れば、誰だかはすぐに分かった。
「あんたが、うちの子らの……いや、その、なんだ。礼を」
「お父さん、寝てなきゃだめだって言ったのに」
「ばか、礼ってのは寝ながら言うもんじゃねえ」
お父さんはキーラに向かって、腰の痛みに顔をしかめながら、それでも深く頭を下げた。
「明日から、教わったとおりに積んで売ります。……あんた、いい商人になるよ」
いい冒険者に、ではなかったが、キーラはなんだか無性にうれしくなって、「なります! 両方!」と答えた。
別れ際、女の子が走って追いかけてきた。手にいちばん器量よしのカブを一個、握っていた。
「あの……! これ、売り物の中で、いちばんいいやつで……。お代は、受け取ってもらえないから、せめて」
「え、でも、いちばんいいのは、山のてっぺんに——」
「明日のてっぺんは、明日の畑から採ってきます。……今日のてっぺんは、あなたのです」
覚えたての商いの理屈で、精一杯の礼を包んでくる。断れるわけがなかった。キーラは、カブを両手で受け取って、ラースさんのリンゴの隣に仕舞った。旅の荷物に、もらいものの野菜と果物が増えていく。悪くない増え方だった。
✦ ✦ ✦
宿に戻って、旅日記を開いた。
『二件目、猫探し。フクはお母さんになっていた。子猫、すごく可愛いかった。
帰りに、野菜売りの姉弟を手伝った。依頼じゃないから、0Ø。
でも、今日いちばん楽しかったのは、たぶんこっち。呼び込みしてるとき、なんだか、お店にいるみたいだった。
わたしは旅に出ても、やっぱり商人の娘みたいです。お父さん。』
書き終えて、ふと思う。
冒険者の仕事は、時間をもらう仕事だ。でも今日みたいに、もらわなくても回っていくものも、世界にはたくさんある。フクの子猫も、あの姉弟の明日の商いも、報酬の欄には載らない。
載らないけど、ちゃんと、ある。
「……よし。明日、三件目」
灯りを消す。三件目を終えれば、仮登録の木札は本物のギルド証になる。枕元のリンゴは、今日もつやつやと赤かった。