三件目の依頼は、掲示板の真ん中に貼ってあった。
『北の宿場までの荷馬車護衛。一泊二日。行商人一名、荷馬車一台。報酬30Ø』
「護衛依頼ですね」
受付のノーラさんは、依頼票とキーラの顔を見比べて、眼鏡を押し上げた。
「本来は本登録の方向けですが……依頼主のご指名条件が『元気で、よく食べる子』なので」
「なんですかその条件」
「会えば分かります」
会って、分かった。
依頼主は、マーサさんという行商のおばさんだった。腕は樽のように太く、声は鐘のように大きく、荷馬車には北の町々へ卸す油と塩と反物が満載されていた。
「あんたかい! ちっちゃいねえ! まあいいさ、飯はうちが持つよ、たんと食べな!! ほら、まずは味見だ!」
会って三十秒で、腸詰めが一本、手に握らされていた。面接というより給餌である。
聞けば、いつもは顔なじみの冒険者に頼むのだが、今回は都合がつかず、かといって強面の知らない男を雇うのは苦手なのだという。「あたしゃね、道中の飯がまずくなる相手が一番だめなのさ」とのことだった。護衛の条件が「よく食べる子」なのは、そういうわけらしい。
「よろしくお願いします! あ、わたし、よく食べます!」
「合格だよ!!」
✦ ✦ ✦
旅は、にぎやかだった。
マーサさんは、荷馬車の御者台からよく喋った。北の町の相場のこと。塩はどこで買うのが利口かということ。三人いる息子が、三人そろって商いに向かなかった愚痴。キーラが商人の娘だと知ると、話は倍の速さになった。
「ナビアの干し魚かい! あれはいいよ、今度仕入れに行こうかね」
「うちの店、市場の角なんです! マルコの店って言えば分かります!」
「商売っ気まで一人前だ!!」
道中の昼飯は、宣言どおり豪勢だった。塩をきかせた腸詰めを炙って、固いパンに挟む。行商人の飯は塩が違う、とマーサさんは胸を張った。実際違った。
食後、マーサさんは急に真顔になって、護衛の心得というものを教えてくれた。
「いいかい、嬢ちゃん。なにか出たときの守る順番だ。——一に人、二に馬、三に荷。逆をやる護衛が、たまにいる。荷を守って馬を失えば、荷ごと立ち往生。馬を守って人が欠ければ、誰が手綱を握るんだい。……分かるね?」
「一に人、二に馬、三に荷」
「そう。それと、あんたの得物は槍だ。槍ってのは、追い払うのに一番いい得物だよ。届く間合いが長いからね。殺さなくても、群れってのは『割に合わない』と思えば引くもんさ」
長年、街道で生きてきた人の言葉は、ギルドの資料よりずっと具体的だった。キーラは腸詰めを頬張りながら、ぜんぶ頭に書きつけた。
「マーサさんは、なんで行商になったんですか?」
「ん? なんでって、そりゃあんた……考えたこともないね! 気づいたら馬の手綱を握ってた!」
「あはは、なにそれ」
「でもまあ、しいて言やあ——同じ景色に飽きる質だったのさ。店を構えるってのは、同じ場所で、同じ客と深くやる商売だ。行商は、違う場所で、違う客と浅く広くやる商売。どっちが上ってもんじゃない。質の問題さ。……あんたはどっちだい?」
キーラは少し考えた。ナビアの市場の、毎朝同じ顔ぶれの温かさも知っている。でも、いま荷馬車の上から見える知らない景色に、胸が躍っているのも本当だ。
「……両方、かも。今は、広く浅くの季節で。いつか、深くやりたい場所が見つかったら、そこで深く」
「はっはあ! 欲張りだね! いいよ、その欲張りは長生きするよ!!」
そして、日が暮れた。
宿場まではあと半日。今夜は街道脇の野営地で一泊になる。火を焚いて、馬に水をやって、交代で眠る——はずだった。
最初の遠吠えが聞こえたのは、キーラの見張り番のときだった。
✦ ✦ ✦
長く、細く、夜気を裂く声。
一つ。間を置いて、別の方角からもう一つ。
「……マーサさん、起きてください」
「——ん、おう。……ワーウルフかい」
マーサさんは跳ね起きて、火に薪を足した。炎が大きくなる。
「群れだね。荷の油の匂いにつられたか。……嬢ちゃん、やれるかい」
「や、やります。やれます」
声が少しうわずったのは、勘弁してほしい。闇の向こうで、遠吠えが数を増やしていく。ギルドの資料で読んだ。ワーウルフは一匹なら臆病。でも群れると、火にも寄ってくる。
「嬢ちゃん、配置だ。あんたは火と馬の間。あたしは馬車の上。……荷はいい、最後だ。順番、覚えてるね」
「一に人、二に馬、三に荷!」
「上等!!」
マーサさんは言いながら、太い薪を三本、手元に引き寄せた。護衛を雇う側の行商人が、自分の得物を用意している。この人は、守られるだけの人ではないのだ。街道で生きるというのは、そういうことらしかった。
火明かりの外は、墨を流したような闇だった。その闇のあちこちで、目が光る。二つ、四つ、八つ……。
「六匹ってとこかね」とマーサさんが言った。「多いよ。今年は山の餌が薄いんだ」
馬が荒く鼻を鳴らして足踏みをする。キーラは火を背にして、槍を構えた。手のひらが汗ばみ、息を吐く。一に人、二に馬、三に荷。守る順番は決まっている。位置も決まっている。なら、あとは——来るのを待つだけ。
(怖い。……けど、大丈夫。今日は最初から、槍を持ってる)
草むらが、鳴った。
最初の一匹が、火の輪の縁に飛び込んでくる。灰色の毛並み、低い姿勢、狙いは馬——
「させないっ!」
体が動いた。踏み込み、穂先で地を薙ぐ。薙いだところの空気が唸って、土と火の粉が舞い上がる。ワーウルフはたたらを踏んで下がった。
(大丈夫。動ける。……見えてる)
海賊の岩屋のときとは違った。あのときは無我夢中で振るっていたが、今は火の位置が分かる。馬車の位置が分かる。守るものが、どこにあるか分かっている。
二匹目が右から襲い掛かり、突きの腹で払い飛ばす。三匹目が馬車の陰に回る——のを、マーサさんの投げた薪が牽制した。キーラは風をまとった石突で、その三匹目の鼻先を地面ごと打った。
甲高い悲鳴。群れの気配が、一瞬ためらう。
「今です! ——そぉい!!」
風の唸りごと、槍を大きく振り回す。火明かりの中でぶんぶんと荒ぶる槍と、樽のような腕で薪を構えた行商人。旗色が悪いと見たのだろう、遠吠えがひとつ短く鳴いて——気配は潮が引くように森へ消えた。
静けさが戻ってくるまで、キーラは槍を下ろせなかった。構えたままの肩に、夜気が冷たかった。耳だけが、いつまでも森の音を拾い続けている。……戻ってこない。大丈夫。息を長く吐いた。
「……行った、みたいです」
「見事なもんだ!!」
ばん、と背中を叩かれ、肺から空気が一気に出た。
「追い払いで正解だよ。あの数を全部やるこたぁない。荷と馬と、あたしらが無事なら、護衛は満点さ!」
その夜はもう眠れる気がしなかったので、マーサさんと火の番をしながら、夜通し商売の話をした。
「しかし、あんたの槍の風、ありゃなんだい。魔法かい」
「風魔法……らしいです。その……戦ってるうちに使えるようになって。今でもまだ、不安定ですが」
「戦ってるうちに!? あっはっは、そんな覚え方があるかい!! ……でもいいね。あんたの風は、商売の風だ」
「商売の風?」
「そ。人を斬る風じゃなくて、場を回す風。市場でいちばん売れる店には、風が通ってるのさ。人が寄って、離れて、また寄って。あんたの槍の風もおんなじだ。狼を殺さずに場を回して、追い返した。……いい風だよ」
風の褒められ方として、それは初めての種類だった。キーラはなんだかくすぐったくなって、照れたまま火に薪を足した。
その後、腸詰めをもう一本焼いてもらった。一仕事終えた夜明けの腸詰めは、世界一おいしかった。
朝の光の中で見ると、野営地の周りには、ワーウルフが移動した後がぐるりと残っていた。火の輪の外を、行って、戻って、迷って——最後は、山のほうへまっすぐ帰っている。
「賢い群れだよ」と、マーサさんは跡を読みながら言った。「割に合わないと分かったら、深追いしない。……嬢ちゃんが誰も殺さなかったから、向こうも引き際を選べたのさ」
馬は、何事もなかったみたいに草を食んでいた。キーラがたてがみを撫でると、鼻先でぐいぐい押し返された。ゆうべ守った相手に懐かれるのは、報酬とはまた別の、いい気分だった。
✦ ✦ ✦
翌日の昼、荷馬車は無事に宿場へ着いた。
「はいよ、30Ø。……と、これはおまけだ」
報酬の握手のあとで、マーサさんは腸詰めの包みを、どさりと押しつけてきた。
「北へ行くんだろ。ノルディオを過ぎたら、飯屋が減るからね。……いい護衛だったよ。飯もよく食った。指名条件、満点だ。今度からあんたを指名しようかね」
「えへへ……。あ、でもわたし、旅の途中なので、次はいつ通るか」
「旅ってのはそういうもんさ。じゃ、縁があったらまた!!」
ギルドの出張窓口で依頼票に判をもらうと、係の人が言った。
「これで三件ですね。——おめでとうございます。本登録です」
窓口の奥で手続きを待つ間、キーラは三枚の依頼票を眺めた。ワーラビットの駆除。猫探し。荷馬車の護衛。判の並んだ紙は、たった三枚なのに、めくると三つの顔が浮かぶ。ガロさんの畑の畝。フクの鳴き声。マーサさんの薪投げ。
(依頼票って、領収書みたいだけど……ほんとは、名刺の束なのかも)
これから旅が続けば、この束はどんどん厚くなるのだろう。厚くなった束のぶんだけ、世界のあちこちに顔見知りが増える。そう考えたら、本登録というのは資格というより、帳面の一頁目みたいなものだった。
引き換えに渡されたのは、小さな金属板だった。
『冒険者 キーラ(ナビア出身) ロイゼル商国冒険者組合』
木の札より、ずっしり重い。陽にかざすと、組合の紋が鈍く光った。街道ですれ違ったあの四人組と、これでおそろいだ。
猫を探して、野菜を売って、狼を追い払って——ぜんぶ込みで、冒険者。悪くない。ぜんぜん悪くない。
キーラはギルド証を胸元に下げ、腸詰めの包みを担ぎ直して、北へ続く街道に一歩を踏み出した。