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CHAPTER III 第53話 ひっこし大作戦
Ourhour-Traveler

第53話 ひっこし大作戦

第三章 信念の盾 編

作戦決行の朝は、よく晴れた。

甲虫の引っ越しには、上等の日和である——と、誰も言ったことのない台詞を、キーラが言った。

配置は前夜の打ち合わせどおり。キーラが先導役。プシュケが経路の管制。フィーリスが群れの側面の壁。隊商の男衆は、峠の手前で待機と声援係だった。

準備は、夜明けとともに始まっていた。

キーラは経路に沿って「パンくずの道ならぬ、果物の道!」と、果実のかけらを点々と置いた。プシュケは南の岩棚までの経路を最終確認し、崖に近い危険な二箇所に印の石を積んだ。フィーリスは風向きを読み、旗がわりの布きれを枝に結んだ。布はちょうどいい南風にちょうどいい角度で、はためいていた。

「風、上々です」

「果物の道、開通!」

「経路、確認済み。……皆さん」

プシュケが、めずらしく少しだけ笑った。

「歴史的な朝に、なるかもしれません。甲虫の集団移送の成功例は、わたしの読んだ限り、文献にありません」

「じゃあ、成功したら世界初?」

「世界初です」

「よぉし、燃えてきた!!」

「では——開始します」

✦ ✦ ✦

第一段階は、匂いだった。

キーラが傷んだ果実をひとつ、群れの風上で割った。とろりと熟れた匂いが、朝の風に乗って岩場へ流れる。

鉄色の甲羅がひとつ、もぞ、と動いた。

触角が、匂いの向きを探る。二匹目、三匹目と、日向ぼっこの群れがゆっくり匂いのする方角へ頭を揃えはじめた。

「食いついた……! キーラさん、距離を保って、南へ!」

「まっかせて! ——ほーら、こっちだよー! 朝ごはんだよー!」

果実の籠を担いだキーラが、後ろ歩きで、峠の南の脇道へ誘う。先頭の一匹が、のそり、と一歩を踏み出した。二匹目が続く。三匹、五匹——

群れが、動き出した。

「動いた! おい、動いたぞ!!」

峠の手前で、隊商の男衆から歓声が上がった。半日かけて棒でつついても動かなかった鉄の塊たちが、果実ひと籠で行進を始めたのである。

✦ ✦ ✦

もっとも、行進は順調とばかりは行かなかった。

第一の問題。甲虫の歩みは、氷河なみに遅かった。

「お、遅い……。遅いよ、この子たち……」

「急かしては、いけません。群れが割れます。……匂いの供給を、一定に」

第二の問題。途中で、道草を食う個体が出た。脇の岩の苔が気に入ったらしい三匹が、列を離れて壁に張りつき始めたのである。

「フィーリスさん、左! 三匹、脱走!」

「任されました」

フィーリスは盾を構えて、脱走組の進路に静かに立ち塞がった。押すのではない。ただ、そちらは行き止まりですよ、という顔で立つ。甲虫は盾にこつんと頭をぶつけ、しばらく考えた後、諦めて列に戻った。

「……盾で、甲虫を、導いてる」

「隊列誘導は、前職のお家芸ですので」

「その隊列、二本足だったよね!?」

「応用です」

第三の問題は、空から来た。

行進の半ば、山の天気が気まぐれを起こして、ぱらり、と通り雨が落ちてきたのだ。

甲虫たち全員が一斉に、ぴたりと止まった。

「え、ちょ、みんな!? 休憩!?」

「雨天中止、です。……甲虫は、雨の日は動きません。体が冷えるので」

行進は、道の真ん中で鉄色の置き物の列と化した。幸い、雨雲は薄い。フィーリスが空を読み、「時期に止みます」と言った。三人と隊商は、岩陰で雨宿りをしながら、動かない行進をただ見守った。

「……なんか、平和だねえ」

「討伐依頼の真っ最中、なのですけれどね」

雨が上がると甲羅の水滴が陽に光って、二十個の宝石みたいになり、そのまま行進は何事もなかったように再開した。急がない生き物の引っ越しには、急がない付き添いがいちばん似合うらしい。

次の問題が、いちばん大きかった。

行進の中ほどで、ひときわ大きな個体——親方が「主」と呼んだ、岩のような老甲虫が、ぴたりと動かなくなったのだ。場所は、崩れた巣の亀裂の真下だった。

「……動きません。呼んでも」

「お腹すいてないのかな」

「いえ。……たぶん、違います」

プシュケが、記録帳から顔を上げた。

「巣の中に、まだ、何か残っているんだと思います」

✦ ✦ ✦

「巣の中って……でも、あそこ、崩れかけだよ。危ないよ」

「はい。ですから、いちばん装甲の厚い私が、行きます」

そう言って、フィーリスが亀裂を登った。

岩はところどころ、手をかけただけで崩れた。プシュケが下から、崩れやすい箇所を氷の薄膜で繋ぎ止め、キーラが縄を確保する。三人がかりの慎重な登攀だった。

崩れかけの岩の隙間に、身を入れる。中は、暗くて狭かった。壁面に甲虫たちの暮らした跡——樹液を蓄えた窪み、脱皮の殻、代々磨かれたらしい滑らかな床。長く続いた住まいの跡だった。それが、天井ごと半分潰れている。

暗がりの奥、崩落した岩のあいだに——それは、あった。

卵だった。

子どもの頭ほどの、白い卵が、三つ。崩れた岩に守られるように、奥の窪みに残されていた。

「……そういう、ことでしたか」

家を失っても、この道を動かなかった理由。主が、亀裂の下から離れない理由。群れが置いていけないものを、置いていかなかっただけだった。

卵を布で包んで、三往復。

二往復目の下り、足場の岩がひとつ、フィーリスの踵の下で崩れた。ひやりとした落下は、プシュケの張った氷の棚にギリギリのところで受け止められた。

「……助かりました」

「そろそろ崩れそうだと、感じていました。岩の軋みの音が、変わっていたので」

「音まで、読むのですね」

「本に、書いてありました。……あとは、度胸です」

フィーリスが亀裂から下りるたび、主の老甲虫は触角を、じ、とその手元に向けた。三つ目の卵が主の前にそっと置かれると、老甲虫はそれを甲羅の下に抱え込み——それから初めて自分から、行進の先頭に立った。

「動いた! 主が動いたぞ!!」

行進は、そこからは速かった(甲虫比)。

先頭を行く主の甲羅の下から、ときどき白い卵がちらりと覗いた。列の後ろの若い個体たちが、心なしか主の歩幅に合わせて、間を詰めて歩いた。家族の引っ越しの列だった。それを見て、誰ももう「討伐対象」とは呼ばなかった。

✦ ✦ ✦

昼過ぎ、群れは南の岩棚に無事に収まった。

日当たりのいい広い岩棚に、それぞれの鉄色が思い思いに散らばっていく。プシュケは新居の周りを一巡りして、点検までした。日照、良。水場、近い。天敵の猛禽の巣、視認できる範囲になし。岩の質、乾燥していて堅牢。

「……合格です。前の巣より、いい物件だと思います」

「物件て」

果実を平らげた甲虫の主が岩のてっぺんに登って、触角をこちらに、二度振った。挨拶に見えたのは、たぶん気のせいではないと思う。

峠の道は、開いた。

「「「うおおおおお!!」」」

半日と一晩、足止めされた隊商の歓声は山にこだました。親方は約束の報酬に「討伐より、よっぽど大仕事だ」と色をつけ、若い衆は三人を胴上げしようとして、フィーリスに丁重に辞退された。

「しっかし、あんたら、変わった冒険者だなあ。魔物を一匹も殺さねえで、討伐依頼を終わらせるとはよ」

「殺すのが、仕事ではありませんので」

フィーリスは、荷馬車の列が峠を越えていくのを見送りながら言った。

「通れなかった道が、通れるようになる。それが、依頼の中身でした。……手段は、依頼書には書いていません」

別れ際、親方が荷から反物をひと巻き、押しつけてきた。

「北の市の売れ筋だ。三人で分けな。……嬢ちゃんたちのおかげで、収穫祭の酒が間に合う。村の連中が、どれだけ喜ぶか」

「収穫祭、ですか」

「おう。この先のマロウの村さ。四日後だ。あんたらも通るんだろ? 寄ってきな。今年は当たり年で、そりゃあ賑やかにやるらしいぜ。力比べ大会もある」

力比べ大会、の一言に、キーラの目がきらりと光った。フィーリスはその光を見なかったことにしようとして、プシュケもあきらめの目でこちらを見ていた。次の目的地が、いま決まった音がした。

夕方、峠を下る三人の影は心なしか楽しそうだった。

「ね、フィーリスさん。さっき、卵を運んでるとき——主のやつ、ずっとフィーリスさんの手元、見てたね」

「ええ。……正直に言うと、少し、緊張しました。あれで怒らせたら、盾ごと弾かれますので」

「でも、任せてくれたんだ。……魔物ってさ、こっちが思ってるより、いろいろ分かってるのかな」

「分かって、いるのだと思います」

プシュケが、歩きながら言った。

「魔物と人間に、根本的な違いはない——と、大星典には、あります。神話の解釈は、学者によって割れますが……今日の主を見ていると、あの一節は案外、文字どおりなのかもしれないと、思いました」

「今日の依頼さ、日記になんて書こうかな。『甲虫の引っ越し手伝い』? 誰も信じないよね」

「記録帳には、正確に書きます。『アーマービートル二十三匹(卵三個含む)の移送。死傷、双方ゼロ』」

「卵まで数えるんだ……」

「数えます。……全員、無事でしたので」

フィーリスは二人の会話を聞きながら、ひとりで考えていた。

聖騎士団の依頼書に、こんな任務は一度もなかった。あったのは、討伐と、警備と、制圧だけだった。守るとは、剣を振ることだと思っていた。……この旅は、毎日その定義を書き換えてくる。

(守り方の在庫が、増えていきます。……お父さん。この旅は、良い旅です)

✦ ✦ ✦

ちなみに、あとで峠のギルド出張所に提出した報告書は、受付を大いに悩ませた。

『討伐依頼につき、対象の群れ(二十三、卵三含む)を峠道より南方岩棚へ移送。街道の通行、回復。討伐数、ゼロ』

「討伐数ゼロで、依頼達成……。前例がないんですが……」

「前例なら、リブロン方面に一件あります。『歩く木』の移送で、報酬満額の事例が」

「それ、あんたらか!!」

報酬はひと悶着の末、満額プラス危険手当が出た。窓口の記録には『特記:本件冒険者、魔物を殺さずに依頼を解決する流派とのこと』と書かれたという。流派ではない、ないのだが、訂正はしなかった。

皆さんからいただいた時間 192.86Ø
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