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CHAPTER I 第12話 まわり道
Ourhour-Traveler

第12話 まわり道

第一章 導きの星 編

宿場を出たのは、昼を少し回ったころだった。

胸元では、もらったばかりのギルド証が、歩くたびにかすかに揺れる。金属の板一枚ぶんの重さがまだ体に馴染まなくて、キーラは何度も胸元を見下ろした。見下ろすたび、ちょっと笑ってしまう。

(冒険者。わたしが。ふふ。)

頭の中では、帳簿がパラパラとめくられた。商人の娘の頭は、歩いているあいだも勝手に勘定をする。手持ちは、マーサさんの30Øを足して、旅を始めてからいちばんの膨らみ方をしている。今夜の宿代が素泊まりで2Øとして、夕飯が1Ø。マーサさんの腸詰めが包みにあと五本あるから、食費はしばらく浮く。次の町に寄らず通り過ぎれば、日暮れ前にはノルディオに着いて——。

「……完璧な計画。今日のわたし、商人の娘って感じ」

誰も聞いていない街道で、誰にともなく胸を張った。

夏の午後の街道は、暑くて、明るくて単調だった。麦畑がずっと続いて、遠くに北の山なみが青く霞んでいる。ときどき、南へ下る旅人とすれ違う。行商人がひとり。急ぎ足の伝令らしい人がひとり。革の帽子の親子連れがひと組。すれ違うたび、キーラは「こんにちは」と声をかけ、半分は返事があり、半分はなかった。返事のあるなしを数えるのも、ひとり旅の遊びのひとつである。

昼はマーサさんの腸詰めを一本、歩きながらかじった。焼かずにかじっても塩がきいていて、行商人の飯は塩が違う、という言葉を、キーラは噛むたびに思い出した。

その道の先に、それは見えた。

✦ ✦ ✦

最初は、道端の岩か何かだと思った。

街道が緩くうねった先、木立の陰に荷車が一台傾いて止まっている。近づくにつれて、細かいところが見えてきた。荷車の左の後ろが、がくんと沈んでいる。車輪が外れかけて、荷台の干し草と野菜の樽がずり落ちそうに傾いでいる。傍らに男の人がひとり、しゃがみ込んで車軸をのぞいていて、その向こうで馬が所在なさげに首を垂れていた。

そして——傾いだ荷台のいちばん濃い日陰に、小さな子がひとり、ちょこんと座り込んでいた。

キーラの少し前を、旅人が三人歩いていた。さっき追い抜いていった急ぎ足の二人連れと、荷を背負った行商人。三人とも、荷車の脇を川の水が石をよけるみたいに、するりと迂回して通り過ぎていく。誰も悪くない。みんな、自分の日暮れの予定があるのだ。ついさっきまで、キーラの頭にも同じ予定表があった。

頭の中で、帳簿がまたパラパラとめくられた。ここで止まれば、ノルディオにつくまで日暮れに間に合わない。間に合わなければ宿代の相場が上がるか、そもそも宿が埋まる。商人の娘の算盤は、正直で速い。速いのだが——算盤の音より先に、目が見てしまっていた。

(……あの子、荷台の下にいる)

足が、勝手に止まっていた。

傾いだ荷台の日陰は、いっとう涼しそうに見える。でも、あの荷台は車輪が外れかけて傾いているのだ。樽がひとつ落ちたら。積み直しの拍子に、がくんと沈んだら。あの日陰は日陰じゃなくて、屋根の壊れかけた家だ。それから、馬。首の垂れ方が、暑さのそれだった。水をもらっていない垂れ方だ。

考えるより先に、体が道を折れていた。

「——こんにちは! お手伝い、要りませんか!」

✦ ✦ ✦

男の人は、驚いた顔で振り向いた。日に焼けた、人の好さそうな農夫だった。

「え、ああ……いや、悪いよ、お嬢ちゃん。旅の途中だろう」

「途中ですけど、急ぎじゃないんです」と、キーラは言った。言いながら、頭の隅で予定表がくしゃりと丸まる音がしたが、聞かなかったことにした。

「それより、まずあの子、荷台の下から出てもらっていいですか。傾いてるので、もしもの時に危ないから。……それと、お馬さんに、お水って、あげました?」

農夫がはっとした顔になった。娘を日陰から抱え上げ、それから水袋がとっくに空だったことを思い出した顔をした。

順番は、教わったとおりだった。一に人、二に馬、三に荷。

まず、人。五歳の娘のミオちゃんを木立の安全な日陰に移して、キーラの水筒の水を飲ませる。農夫のお父さんにも一杯。

次に、馬。木陰に引いて、残りの水を飲ませると、馬は鼻を鳴らしてキーラの肩をぐいぐい押した。

そして最後に、荷。

「車軸が、折れちまってなあ」と、農夫は困り顔で言った。「町の車大工まで、荷を置いて馬だけで行くしかねえかと思ってたんだが、荷を置いてくと、野菜が今日の暑さでだめになる。娘と荷を残してくのも、心配で」

「添え木って、できませんか。折れた軸に、硬い枝を沿わせて、縄でぐるぐるって」

「……できなくは、ねえが。荷が重いままじゃ、添え木ごと折れる」

「じゃあ、荷を減らしましょう! 半分下ろして、直して、半分だけ積んで町まで運んで、戻ってきてもう半分! わたし、荷下ろし得意です。実家が市場のお店なので!」

そこからは、力仕事だった。

樽を下ろし、干し草の束を下ろし、農夫が近くの雑木で切ってきた若木を、折れた車軸に沿わせて縄で締め上げる。キーラは槍の柄を支えにして車体を持ち上げる係と、縄を全体重で引く係を兼ねた。車体をもち上げようとすると、いつもは槍に纏う風がほんの少し支えくれた。ラースさんに引き出してもらった風は、こういう地味な仕事のときも、ちゃんと出てきてくれる。

「嬢ちゃん、あんた、ほんとに通りすがりかい」と、農夫が縄を締めながら笑った。

「通りすがりの、冒険者です」と、キーラは胸のギルド証を見せた。今日この胸に下がったばかりの札は、こういうときのためにあるような気がした。

添え木の車軸は、そろそろと走れば保った。

一度目の往復には、ミオちゃんが荷台の隅に乗った。道案内という名目だったが、実際のお仕事は歌だった。ミオちゃんが馬の歩みに合わせてでたらめな歌をうたい、馬は歌に合わせて耳をぱたぱたさせ、そろそろ歩きの荷車の速さにちょうどよく釣り合った。町の車大工は添え木を一目見て「上出来だ、誰の細工だい」と言い、農夫とキーラは顔を見合わせて、半分ずつ手を挙げた。半分の荷で町までひと往復、戻ってもうひと往復。二度目の往復が終わるころ、夏の日はもう山の端にかかっていた。

『日暮れ前にノルディオへ』の予定は、きれいさっぱり消えていた。

✦ ✦ ✦

「泊まってきな。何もねえが、納屋の藁は新しい」

農夫の家は、街道から少し入った麦畑の中にあった。夕飯は麦の粥と、今日運んだ夏野菜の汁物と、井戸で冷やした瓜。母親は、町の姉さんの家へ手伝いに出ているのだという。「かかあがいりゃ、荷の積み方からして違ったんだがなあ」と、農夫は頭をかいた。積み荷が片側に偏っていたのが、車軸の折れたそもそもの理由らしい。粥は正直、実家の味より薄かった。薄かったけれど、汁物の野菜は今日いちにち一緒に運んだ野菜で、自分で運んだ野菜の味はなんだか特別に濃かった。それから、縁側で干しプラムをもらった。ミオちゃんが小さな手で、一粒ずつ数えて分けてくれた。

「おねえちゃん、はい。おうまさんのぶんは、ないの。おうまさんは、プラム、たべすぎるから」

「じゃあ、お馬さんには内緒だね」

夜、納屋の藁の上で、キーラは戸口から夏の夜空を見ていた。

「ほれ、あれだ」と、いつのまにか隣に来ていた農夫のおじいさんが、杖の先で空を指した。ミオちゃんの、おじいさんだという。「あれが、獣の星座さ。春の頭にてっぺんに来る。……星座ってのは十二あってな、嬢ちゃん。生き物のほうも、十二の門、種類に分かれてる。空の十二と、地の十二。数が同じなのは偶然じゃねえって、わしのばあさまは言ってたよ」

「へえ……! じゃあ、お馬さんも、どれかの門なんですね」

「獣の門よ。わしらもどれかの門で、魔物もどれかの門だ。……ま、ばあさまの受け売りだがな」

おじいさんは、それだけ言うと、ふぁ、とあくびをして母屋へ戻っていった。夜空の話は、それでおしまいだった。

入れ違いに、寝間着のミオちゃんがとことこ来て、キーラの隣にぺたんと座った。おやすみを言いに来たらしい。

「おねえちゃん。おうまさんも、ほしの門なの」

「みたいだよ。けものの門、なんだって」

「へぇ、そうなんだね」

そうと答えると、ミオちゃんは満足して、こくこく頷きながら母屋へ運ばれていった。でもキーラはしばらく、星を数えるのをやめられなかった。空の十二と、地の十二。世界は思ったより、そろいの模様でできているのかもしれない。

寝る前に、ランプの灯で日記を開いた。

『今日の予定:次の町の宿。ほんとうの今日:ミオちゃんちの納屋。

宿代、はらってない。夕飯と、干しプラムと、星の話をもらった。世の中の生き物は、十二種類に分かれているらしい。予定は半日変わった。

……変わったけど、赤字じゃなかった。むしろ黒字だと思う。帳簿のつけ方が、わからないだけで。』

読み返して、商人の娘は満足して、ランプを消した。藁のにおいの中で聞く虫の声は、宿のベッドで聞くのと、同じくらいよく眠れた。

✦ ✦ ✦

翌朝は、家族総出で見送ってくれた。

ミオちゃんが、干しプラムの小さな包みを、旅の餞別だと言って渡してくれた。お馬さんには内緒の包みである。農夫は「ノルディオに行くなら」と、街道の近道と、うまい飯屋をひとつ教えてくれた。近道は「二本目の水車を右」、飯屋は「橋のたもとの、婆さんの店。豆の汁物が絶品」。地図に載らない種類の財産が、また少し増えた。

「助かったよ、冒険者さん。……あんた、いい目をしてるね。何人も通り過ぎた道で、あんただけ、うちの娘を見てくれた」

いい目。

白い髪の旅人に言われたのと、同じ褒め言葉だった。あの人の言うとおりかもしれない。いい目をしていると、いいものの方から寄ってくる——昨日寄ってきたのは、干しプラムと、十二の門の話だけれど。

キーラは農夫の家を出て、街道へ戻った。胸のギルド証が、朝日を受けてちかりと光る。予定は半日狂って、財布は一枚も増えていない。それでも、依頼票のない仕事がひとつ、胸の帳簿に判を押していた。

北へ。今日こそ、ノルディオへ。

そう思っていた矢先、今度は空の端に、少しだけ雨の匂いがした。

皆さんからいただいた時間 195.15Ø
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