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CHAPTER I 第13話 雨宿りの祠
Ourhour-Traveler

第13話 雨宿りの祠

第一章 導きの星 編

正式なギルド証を胸に、キーラは北へ向かっていた。

次の目的地は、北部街道の町ノルディオ。行商人たちの話では、あの町を越えると平原が開けて、ストラル王国へ続く峠が見えるという。雪の国に続く道。ラースの話に出てきた、季節がぜんぶ冬の土地は、そのずっとずっと先だ。

ノルディオまであと少し、という夕方だった。

空が、急に暗くなった。

「……あ。これ、来るやつだ」

ぽつ、と鼻先に一滴。次の瞬間には、街道が白くけぶるほどの夕立になった。慌てて外套をかぶっても、焼け石に水ならぬ、ずぶ濡れに外套だった。

「どこか、どこか屋根……あった!」

街道から少し外れた丘の上に、古い祠が見えた。石積みの、小さなお堂。屋根は苔むしているが、崩れてはいない。誰かが手を入れている屋根の色だ、と新米冒険者は目利きで判定した。

キーラは水たまりを蹴散らして駆け込んだ。

「おじゃましま——」

祠の中には、先客がいた。

小さな囲炉裏がわりの火。その前に、腰の曲がったおばあさんがひとり、座っていた。

「おやおや」

おばあさんは、濡れ鼠のキーラを見上げて、目を細めた。

「派手に降られたねえ、嬢ちゃん。お入り。火があるよ」

✦ ✦ ✦

おばあさんは、サンドと名乗った。ノルディオの町外れに住んでいて、この祠の掃除と番を、もう何十年もしているのだという。

「誰かに頼まれてるんですか?」

「いいや。連れ合いがね、生きてたころ、ここの番人だったのさ。あの人が死んで、ほかにやる者もいないから、なんとなく続けてる。……なんとなくが、四十年」

おばあさんはそう言って、からから笑った。

「ほれ、頭。びしょびしょのまんまじゃないか」

言うが早いか、サンドおばあさんは乾いた布でキーラの頭を、わしわしと拭きはじめた。

「あ、あの、自分で……」

「いいから。年寄りにこれくらいさせな」

わしわし。わしわし。

くすぐったくて、あたたかくて、キーラはされるがままになった。おばあちゃんというものが家にいたら、こんな感じなんだろうか。キーラの祖父母は、四人ともキーラが生まれる前か、物心つく前にいなくなっている。祖母の記憶は、ひとつもない。

だからこの頭を拭かれる時間が、なんだか少しだけ胸の奥の知らない場所に沁みた。

「嬢ちゃん、旅かい」

「はい。ナビアから。世界を見にいく旅です」

「ほう、ほう。若いねえ」

おばあさんの目が、ふと、キーラの髪元に留まった。

「いい髪飾りだ。花かい」

「あ……はい。幼馴染みがくれたんです。ずっと会えてないんですけど、その、お守りみたいなもので」

「そうかい。……離れてても、案外そばにいるもんさ、そういうのは」

おばあさんは、それ以上は聞かなかった。聞かないでいてくれる人の隣は、話したくなるから不思議だ。キーラは白湯をもらいながら、ナビアの市場のこと、海賊のこと、ワーラビットの畑のことをぽつぽつと話した。おばあさんは毎回、「ほう、ほう」とふくろうみたいな相槌を打った。

外では雨が、屋根を叩き続けている。焚火から聞こえる爆ぜる音。濡れた服から立つ湯気。サンドおばあさんは、キーラに堅焼き菓子をひとつもらうと、お返しに、白湯を注いでくれた。

「……この祠って、なんの神様なんですか?」

祠の奥には、古い古い石像があった。長い年月に撫でられて、顔立ちはもうほとんど分からない。ただ、頭の上に星をかたどったらしい飾りの跡があった。

「なんの、ってこともないさ。星々の神様、その全部をまとめてお祀りしてる。……嬢ちゃん、創世の昔話は、知ってるかい」

「成星式のときに、聖句をちょっとだけ」

「なら、雨宿りついでだ。ばあの昔話に、付き合っとくれ」

✦ ✦ ✦

サンドおばあさんの声は、雨の音によく馴染んだ。

「——むかし、むかしの、そのまたむかし。宙に舞う星々の神様は、まず始めに、この地に聖なる光をお生みなさった」

火が、ぱち、と爆ぜる。

「次に、相反する炎と氷を。そしてその二つをなだめるために、雷をお創りなさった。それでも世界は寂しいままだったから、風と、水と、土をお創りになって、地を活き活きとさせなさった」

石像の顔を、火の影がゆっくりと撫でる。

「けれど神様は、まだ足りないとお思いになった。そうして最後に——時間を、お創りになった。時間が生まれて、ようやっと、わたしらヒトや獣が生まれたのさ」

「……時間が、最後なんですね」

「そうさ。最後で、いちばんの上等さ」

おばあさんは、自分の右手首をしわだらけの左手でさすった。袖の奥で、鈍い色の結晶がちらりと見えた。

「時間はなぁ、嬢ちゃん。神様の、最後の贈り物なんだと。だから粗末にしちゃなんねぇ。……ばあくらいの歳になると、その意味が骨身に沁みるよ」

キーラは、自分の右腕の内側をそっと見た。青白い結晶。まだたっぷりある、と思って生きてきた。おばあさんの袖の奥のは、鈍くて深い色をしていた。同じものなのに、色だけが過ごした年月の分だけ違う。

「……怖く、ないんですか。その、色が変わっていくの」

「はて。……怖かった時期も、あったかねえ」

おばあさんは、焚火をちょいちょいと直した。

「連れ合いが逝ったころは、怖かったよ。残りを数えてばっかりいた。……でもある日、気がついたのさ。数えるほうを、まちがえてた。残りを数えるより、使ったほうを数えるほうが、ずっと面白い。ばあはこの腕で、四十年、祠を掃除したんだ。どうだい、大した使いっぷりだろう」

「……はい。すっごく」

「だろう。だから嬢ちゃんも、いまから使ったほうの帳面をつけときな。歳とってから読み返すのは、そっちの帳面だからね」

使ったほうの帳面。旅日記の一頁目に書いた自分の言葉と、ぴたりと重なった。ちゃんと使おうと思う——あれはたぶん、この帳面の話だった。

雨音の向こうでおばあさんは思い出したように、ふふ、と笑った。

「そうそう。昔話の端っこには、こうもある。——神様のおそばには、十二人の従者がおってなぁ。神様のお手伝いをして、この世界の隅々まで、命を植えて回ったんだと」

「十二人の、従者」

「そう。十二人」

「どんな人たちだったんですか?」

「さあねえ。ばあが婆さまから聞いたときにも、もう名前は残ってなかった。獣の世話をした者がいた、草木を植えた者がいた、水を引いた者がいた——って、仕事の話だけが、ぽつぽつ残ってる。昔話ってのは、そういうもんさ。今じゃ誰も、顔も知らないがね。ただの昔話さ。……ばあはこの話が、なんだか好きでね。神様おひとりで作った世界より、みんなで手分けして作った世界のほうが、あったかい気がするだろう?」

キーラは、囲炉裏の火を見つめながらうなずいた。

「星導祭も、十二年に一度ですもんね」

「そうさ。次は……ええと、今年の年越しだよ。もうじきさね。ばあが見られるのは、あと一回くらいって勘定だ」

「見られますよ! もっと!」

「はっは。若い衆の『見られますよ』は、効くねえ。薬より効く」

おばあさんはそう言って、祠の石像をちらりと見た。

「連れがなくなってから初めての星導祭の夜はね、この丘から見たのさ。空じゅうの星が流れてくの見てたら、なんだかね、あの人が『まだ来るな』って言ってる気がしてねえ。……で、四十年近くよ。神様の贈り物ってのは、ときどき、ずいぶん引き止め上手だ」

その夜は、祠の隅を借りて眠った。雨はいつまでも、優しい音で降り続いていた。眠りに落ちる間際、キーラはわしわしと頭を拭かれた感触を、もう一度だけ思い出した。おばあちゃんの記憶が、今夜ひとつできた。血は繋がっていないけれど、とても温かい気持ちになった。

✦ ✦ ✦

朝、雨は上がっていた。

祠の戸を開けると、洗いたての世界が待っていた。草の匂い。滴る雫。そして、丘の向こうの空に——大きな虹がかかっていた。

「わあ……」

「ほう、七色だ。縁起がいいねえ」

サンドおばあさんと並んで、しばらく黙って虹を見た。

「虹ってのはね、雨の礼儀なんだと。連れ合いが言ってた。さんざん降って迷惑かけたから、最後に一礼していくんだと」

「じゃあ、ゆうべの雨は、礼儀正しい雨ですね」

「そうさ。おかげで嬢ちゃんが来た。……雨も、たまにはいい客を連れてくる」

それから残りの堅焼き菓子を半分こして、キーラは荷物を背負った。おばあさんは去り際に、キーラの外套の紐をわしわしの手つきで結び直した。

「ほれ、緩んでる。……気をつけてお行き。北は、これから風が変わるよ」

出がけに、キーラは祠の奥の石像に、ぺこりと頭を下げた。

星の飾りの神様。時間をくれた神様。よく分からないけれど、一晩屋根を借りた礼儀である。顔の消えた石像は何も言わなかったけれど、朝の光の中では、ゆうべより少しだけ笑っているように見えた。

「お世話になりました。……あの、また通ったら、寄ってもいいですか」

「いつでもおいで。ばあか、ばあの掃除した祠が、どっちかはいるよ。堅焼き菓子、また持っといで」

言い方がちょっと不吉ですよ、と笑って、手を振って丘を下りる。

街道はまだ濡れていて、水たまりのひとつひとつに朝の空が映っていた。キーラはそれを踏まないように、ぴょん、ぴょんと跳びながら歩いた。子供っぽいが、誰も見ていないからいいのである。

(世界は広い)

歩きながら思う。

海賊の入り江も、豆の煮込みの宿も、ワーラビットの畑も、雨の祠も、ぜんぶ、家から数日の距離にあった。それでもう、こんなに広い。

(まだ、なんにも見てない。ぜんぜん、これから)

外套の紐はおばあさんの結び目のまま、しっかり胸元を留めていた。北の風は、たしかに昨日までと匂いが違った。

皆さんからいただいた時間 191.51Ø
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