ノルディオの宿に荷を解いて、まずキーラがやったのは、紙とペンを買うことだった。
『お父さん、お母さんへ。
元気です。ごはんも食べてます。狼が出たけど、マーサさんという行商のすごい人と追い払いました(マーサさんはナビアに仕入れに行くかもしれません。うちの干し魚を高く売ってください)。
何とか旅もうまくいっていて、冒険者の本登録ができました。猫も探したし、野菜も売りました。野菜は、お父さんの教えで完売しました。商人の娘は、旅に出ても商人の娘みたいです。
堅焼き菓子を自分で焼いたら、なにかが違いました。配合は合ってるのになんでだろう?
次の手紙は、もっと北から出します。キーラ』
両親への手紙は、前回より少しだけ長くなった。前回より長くなったということは、話すことが増えたということであり、旅が充実している証拠でもある。
また、堅焼き菓子がなにかが違う理由は、書きながらちょっとだけ分かった気がした。あの菓子はたぶん、台所のあの竈と、隣で見ているあの人の込みの味なのだ。
宿の主人に頼むと、南行きの荷馬車が三日後に出るから、それに載せてくれるという。手紙が海辺の町まで旅をするのに、十日。返事が来るころ、わたしはどこにいるんだろう。
「返事の宛先、どうするんだい」と、主人が聞いた。
「あ……そっか。わたし、動いてるから、届かないんだ」
「旅人はみんなそうさ。だから、ギルド留めってのがある。行く先の町のギルドを宛先にしとけば、組合の便で回してくれる。ま、二月三月は平気で遅れるがね」
手紙が、わたしを追いかけて旅をする。なんだかそれは、いい仕組みだった。世界のどこかで、手紙が荷馬車に揺られてわたしを探している——そう思うだけで、知らない町の宿の椅子が、少しだけあたたかくなる。
ついでに宿の竈を借りて、堅焼き菓子を焼いた。
配合はお母さんに叩き込まれたとおり。焼き加減もたぶんレシピ通りなのに、齧ってみるとやっぱり何かがちょっとだけ違った。
「……固さは合ってるんだけどなあ」
なにが違うのかは、分からなかった。分からないまま、ぜんぶおいしく食べた。違っていても、この菓子はやっぱり家の味の親戚だった。
✦ ✦ ✦
ノルディオに数日いることにしたのには、理由があった。
風の練習である。
名前もまだ知らない、あの風の魔法。あれはこれまで、戦闘中に勝手に出た。一回目は海賊の岩屋で、怖くて必死だったとき。二回目は弓の女との一騎打ちで、腹の底から怒ったとき。そして、ワーウルフと戦ったときや、農夫を助けたときに少し。
つまり、うまくコントロールできずに感情まかせなのだ。
「出て、って思って出ないのは、道具じゃなくて、気分屋の相棒ってことだよね……」
町外れの原っぱで、キーラは槍を構えた。
出ろ。……出ない。
出てください。……出ない。
お願い! ……そよ、とも言わない。
「むー……」
怒ってみようかと思って、海賊のことを思い出そうとした。意外にも出たけれど、風はすぐに萎んだ。借り物の怒りは、燃料としては安物らしい。しかも、あと味が悪い。魔法のために嫌なことを思い出すのは、ごはんのために嫌いなものから食べるのに似ていた。続かないに決まっている。
合間に、走りながらも試した。走ると風は出やすいが、止まって構えて、静かに出そうとすると、とたんに気配が消える。
「走ればいいなら、ずっと走ってればいいんだけど……護衛のとき、ずっと走ってるわけにはいかないもんね」
守る仕事は、立って待つ仕事だ。マーサさんの馬車の前で、火を背にして来るのを待ったあの時間。あそこで確実に出せる風でなければ、相棒とは呼べない。
午前中いっぱい試して、分かったことが三つあった。
一つ。「出ろ」と命令しても出ない。二つ。「出てほしいなあ」とお願いしても出ない。三つ。集中しすぎると、槍を構えたまま微動だにしない不審な人になる。
昼ごろには、原っぱの隅で、町の子どもたちが見物を始めていた。
「ねーちゃん、なにしてんの」
「槍の練習」
「へんなの。さっきから止まってばっかりじゃん」
「止まってるんじゃないの。集中してるの」
「ねーちゃん、もしかして冒険者?」
「そうだよ! ほら、ギルド証!」
「すげー!! じゃあさ、じゃあさ、さっき一回だけ風がぴゅーってなったやつ、あれやって!」
「あれはね、いま出ないの」
「えー」
「えー」じゃないのよ、とキーラは思った。わたしが一番「えー」なのよ。冒険者と名乗った直後に魔法が出ないの、ものすごく恥ずかしいのよ。
そのとき、子どもの一人が手にしていたものが目に留まった。木の棒の先で、色紙の羽根がくるくる回っている。——十二星の風車。星導祭の時期にはまだ早いのに、気の早い露店が売っていたらしい。
風車は、子どもが走ると回って、立ち止まると止まった。
「……ねえ、それ、ちょっと貸してくれる?」
キーラは風車を槍の柄にくくりつけて、構え直した。
出ろ、ではなくて。
(——回れ)
この羽根を回してあげたい、それだけを思ってみる。海賊も、怒りも抜きにして。目の前のちいさな羽根がくるくる回ったら、あの子たちが笑うだろうなって——
ひゅる、と。
穂先に、風が生まれた。
細い細い渦が槍の軸を伝って、色紙の羽根が、からからからから、と勢いよく回りはじめる。
「「「おおーーっ!!」」」
子どもたちが跳ねて喜んだ。たぶん、キーラも同じ顔をしていた。
(そっか。……あんたは、怒らせなくても出てくれるんだ)
守りたいとき。喜ばせたいとき。誰かのために、風を届けたいとき。この気分屋の相棒は、そういう気持ちでもちゃんと回る。むしろそっちのほうが素直に回る。
考えてみれば当たり前かもしれなかった。海賊の岩屋で出た風も、怒りは怒りでも「自分が助かりたい」の怒りではなかった。あの檻の中の人たちを帰したかった。弓の女との一騎打ちもそうだ。この風は最初からずっと、誰かのほうを向いて吹いていた。わたしが気づくのが遅かっただけで。
「もっかい! ねーちゃん、もっかい!」
「順番、順番! 次はあなたの風車ね」
子どもたちは自分の風車を我先に槍にくくりつけ、キーラはそれを一本ずつ、風で回した。回すたびにコツが体に溜まっていく。風の太さ。回す速さ。続ける長さ。怒りで出したときには気づかなかったけれど、この風は、ちゃんと加減ができるのだ。
途中で、一悶着もあった。男の子二人が「おれの風車のほうが速く回った」「おれのだ」で取っ組み合いになりかけたのだ。キーラは慌てて割って入り、審判を買って出た。
「はい、じゃあ勝負! 二本同時に回すから、長く回ったほうの勝ち!」
同時に、同じ強さの風を、二本の槍……は無いので、槍と、拾った棒に一本ずつ。これが、思いのほか難しかった。風を二つに割る。太さを揃える。片方だけ贔屓しない。三回やって、三回とも見事に引き分けにしたところで(、当人たちはとっくに仲直りして次の遊びを考えていた。子どもの喧嘩は夕立に似ている。降るのも早いが、上がるのも早い。
残ったのは、キーラの体の中の、新しいコツだけだった。風を割る感覚。揃える感覚。喧嘩の仲裁が、そのまま修行になった。
「おねーちゃんの風、あったかいね」
女の子のひとりが、ふいにそう言った。
「風って冷たいのかと思ってた」
「……そっか。あったかいか」
ラースのおまじないも、あたたかい風だった。体の中を通り抜けて、いちばん深いところに残った、あの風。もしかしたらこの魔法は、最初からずっとあの温度のままなのかもしれなかった。
その日の午後いっぱい、原っぱには風車の音と子どもの歓声が響いていた。夕方になる頃には、風はだいたいキーラの「回れ」に応えるようになっていた。
日が傾いて、子どもたちは一人、また一人と夕飯に呼ばれて帰っていった。
「またね、風のねーちゃん!」
「またね! 風車、大事にね!」
風のねーちゃん。旅で最初にもらった二つ名がそれだった。かっこいいのか、かっこよくないのか、微妙な線だったけれど悪い気はしなかった。
最後の一人の背中が路地に消えると、原っぱは急に夕暮れの色と静けさになった。
キーラはひとりで、もう一度だけ槍を構えた。
誰のためでもなく。見せる相手もなく。ただ、今日一日ぶんの「ありがとう」みたいな気持ちで、そっと。
——回れ。
ひゅる、と風が生まれて、誰も乗せていない穂先で気持ちよさそうにひと回りした。
✦ ✦ ✦
夜、旅日記を開いた。
『風の練習。
わかったこと。この風は、怒りでも出るけど、それだと長持ちしない。誰かのために回そうとすると、よく回る。
なんというか、わたしに似てる気がする。
あと、風車を回すと子どもに大人気。冒険者よりも人気者になってしまった。』
ペンを置いて、窓の外を見る。北の空は晴れて、星がよく見えた。
「……ラースさんが引き出してくれた力、ちょっとずつ、わたしのものになってます」
報告するみたいに呟いて、キーラは灯りを消した。
明日はこの町の掲示板で依頼をひとつ受けて、明後日には、次の町へ発つつもりだった。