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CHAPTER I 第15話 時間のくすり
Ourhour-Traveler

第15話 時間のくすり

第一章 導きの星 編

翌朝、掲示板の前で、キーラは一枚の依頼票とにらめっこをしていた。

『薬師くすし工房より。町はずれ、岩場の洞窟のワーバット駆除。あわせて魔石の回収。報酬24Ø、回収した魔石は別途買い取り』

気になるのは、報酬でも、ワーバットでもなかった。

「……魔石の、買い取り?」

魔物の駆除は分かる。でも、魔石を集めてどうするんだろう。薬師さんが? 分からないことは、聞くに限る。それに洞窟。旅を始めてから、町と、畑と、街道の依頼ばかりだった。地面の下のお仕事は、初めてである。

受付で判をもらうと、係のおじさんがひとつだけ忠告をくれた。

「嬢ちゃん、洞窟は初めてかい。なら三つ覚えとき。灯りは二つ持て。来た道を振り返って覚えろ。……で、音を立てるな。ワーバットは音で飛ぶからな」

「灯り、道、音。……覚えました!」

✦ ✦ ✦

薬師の工房は、町はずれの乾いた草の匂いのする家だった。

軒先に薬草の束がずらりと吊るされ、店の奥の棚には、大小の瓶がぎっしり並んでいる。奥から出てきたのは、目のきらりとしたおばさんだった。

「あんたが受けてくれたのかい。わかいねえ」

「よく言われます! あの、それで、魔石の買い取りって」

薬師のおばあさんは、キーラに革の小袋と、小さなランタンを押しつけた。

「まずは仕事の内容から。洞窟の奥に、水の溜まった広間がある。ワーバットどもは、その天井さ。近ごろ増えすぎて、夜になると町の作物を荒らして敵わん。数を減らしておくれ。魔石は割らずに、この袋へ。……いいかい、割らずに、だよ」

「割らずに。はい!」

「それと」と、おばあさんはキーラの顔をじっと見た。

「あんた、駆除は嫌いな顔だね」

図星だったので、キーラは正直に頷いた。初めての依頼でワーラビットを狩った日から、この胸のちくりとずっと同居している。

おばあさんは、あっさり言った。

「嫌いなままでおやり。嫌いなままやる奴の手際が、いちばん丁寧なのさ」

✦ ✦ ✦

洞窟の入り口は、岩場の斜面に黒い口を開けていた。

昼間なのに、一歩入ると光がすっぱり切れる。ランタンの火を入れて、キーラは、教わったとおりにした。灯りは二つ——ランタンと、腰の予備の蝋燭。道は、振り返って覚える。入り口の岩の形。二股の右。天井の低いところ。振り返るたびに、帰り道の景色を頭の中に書きつけていく。

入り口の光は、角をひとつ曲がっただけで糸みたいに細くなった。もうひとつ曲がると消えた。世界に、ランタンの丸い明かりだけが残る。明かりの外はぜんぶ闇で、闇の奥から水の滴る音が、ぽつん、ぽつんと数を数えている。

(行きの景色と、帰りの景色って、別の景色なんだ)

音は立てない。足音を殺して歩くのは、思ったよりずっと難しかった。息の音まで大きく聞こえる。洞窟というところは、静けさが濃くて、暗さが重い。肩がだんだんすぼまってくる。

(こわい。……こわいけど、大丈夫。灯りは二つ。道は覚えた。音は立ててない)

教わった三つをお守りみたいに数え直したとき、通路の先が、ふっと開けた。

水の溜まった広間だった。ランタンの小さな火が、黒い水面に映って二つになる。天井は高く、そして——その天井がみっしりと動いていた。

ワーバット。灰色の翼の魔物が、天井のぜんぶにぶら下がっている。数えかけて、やめた。数えたら、足が動かなくなりそうだった。

(……せーの、で、やろう。せーの、で)

キーラは、槍を構えた。狙いは天井の、いちばん張り出した岩棚。あそこの群れを風ごと払えば、あとは出口へ誘導できる——はず。ギルドの資料にはそう書いてあった。資料と現場が同じであることを、初めて心から祈った。

息を三つ数え、手のひらの汗をスカートで拭いた。だいじょうぶ。灯りの位置は分かってる。出口も分かってる。守るものは、今日は自分だけ。なら——思いきり、やるだけ。

「——せーのっ!」

風を纏った石突が、岩棚の根元を打った。乾いた音が広間に爆ぜて、天井がいっせいに剥がれた。

世界が、翼と甲高い声だらけになった。

超音波というやつだろうか、耳の奥がきぃんと痺れる。羽が髪を掠める。キーラは槍を大きく回して、風の膜で自分の周りを覆った。払って、いなして、出口の方角へ、群れを風で押していく。殺すのは、逃げない子だけ。向かってくる子だけ。『ごめんね』と思いながら、穂先は正確に。嫌いなままやる奴の手際は丁寧、とさっき教わったばかりである。

途中、足元の岩が水苔で滑り、体が泳いだ。ランタンが手を離れ、火が消えかけ、闇がぐっと濃くなった、その瞬間——考えるより先に、唇が動いていた。

「——回れっ」

詠唱のない風が、体の周りで渦を巻いた。昨日、一日かけて覚えたばかりの、詠唱を待たない風。威力は半分もない。でも羽の壁を押しのけて、体勢を立て直す一瞬には充分だった。

(やった! 昨日の練習の成果、出ているかも!!)

群れの大半が洞窟の口から夏の空へ逃げ出していくまで、たぶんそんなに長い時間ではなかったのだと思う。静けさが戻った広間でキーラは膝に手をつき、しばらく息を整えた。討ったのは、十と少し。水際に横たわる小さな体にひとつずつ、ごめんねを言って回った。

魔石は、身体の中央あたりにあった。親指の先ほどの、小さな結晶。ランタンの火にかざすと、中で何かがとろりと揺れた。

(これが……この子の、時間)

割らずに、そっと革袋へ。十と少しの小さな時間たちは、袋の中でちりちりと澄んだ音を立てた。

✦ ✦ ✦

「おや、早かったね。手際がいい」

工房に戻ると、おばあさんは袋の中身をひとつずつあらためて、満足そうに頷いた。それから、約束どおりの講釈が始まった。

「見てな、嬢ちゃん。魔物の魔石はね——時間の薬になるのさ」

そう言いながら、おばあさんは魔石をひとつ、乳鉢にも似た銀の器に据えて薬草を敷き、澄んだ水を張って小さな釜にかけた。手つきは料理に似ていが、台所と違うのは、火にかけたあと一度も目を離さないことだった。「時間の煮出しはね、目を離すと逃げるのさ」と、おばあさんは鍋を見たまま言った。ことこと、ことこと。やがて、魔石の輪郭がゆっくりと水に溶け出していく。水が、ほんのりと金色を帯びる。

「魔石ってのは、その生き物が生きた時間の、結晶さ。煮出して、こして、薬草で整えると——ほら」

出来上がったのは、小指ほどの瓶に入った、金色の液体だった。

「時間の回復エキス。弱った人の時間を、そっと支える薬さ。行商人が高値で都に運んでいくよ。魔石ひとつが、だいたいエキス一瓶。原価と手間を引いても——」

「い、一瓶、いくらですか」

商人の娘の目が、勝手に輝いた。おばあさんがにやりと笑って値を言い、キーラは暗算して、のけぞった。仕入れ(駆除の報酬つき)、精製(薬草と手間)、売値(都まで運べばさらに倍)。すごい商いだ。すごい商いだが——

「の、のけぞるお値段です……。あの、それなら駆除の依頼料って、安すぎませんか。魔石の買い取りを足しても、その、率直に言って」

「いい目のつけどころだ」と、おばあさんは初めて声を立てて笑った。

「駆除は町のための仕事。精製はあたしの商い。薬は峠の婆さまらの冬支度。ぜんぶ、別々の帳簿なのさ。ぜんぶを一つの帳簿で儲けようとすると、どれかが破れる。……商人の娘なら、覚えときな」

キーラは、袋から出された小さな魔石の列をあらためて見た。

洞窟の天井にぶら下がっていた、灰色の子たち。あの子たちが生きた時間が、いま、金色の薬になって、棚に並ぼうとしている。この薬を誰かが飲んで、弱った誰かの明日が、少しだけ延びる。

(……そっか。回っていくんだ)

初めての依頼の夜、日記に書いたことを、キーラは思い出していた。時間をもらった、だからちゃんと使おうと思う——あの夜は、もらいっぱなしの気持ちで書いた。でも、違ったのだ。もらった時間は使われて、薬になって、誰かのところへ回っていく。わたしの手首を通った時間も、この金色も、おんなじ輪っかの上にいる。

「どうしたい、難しい顔して」

「いえ! ……あの、この薬、誰が飲むんですか」

「そりゃ、いろいろさ。産後の肥立ちの悪いおっかさん。病気で弱った人。……うちの分は、峠向こうの婆さま連中のぶんだね。冬の前に、みんな少しずつ飲んでおくのさ」

峠向こうの婆さま連中。顔も知らない誰かの冬が、今日の洞窟と、細い糸で繋がった。

「はい、報酬の24Øと、魔石の買い取りぶん。……それと、これはおまけだ」

差し出されたのは、いちばん小さなエキスの瓶だった。

「旅の子は、無茶をするからね。ほんとうに困ったときにお飲み。一瓶で、三日ぶんくらいの元気は戻るよ」

「い、いいんですか!? これ、高いんですよね!?」

「割らずに持って帰ってきた駄賃だよ。……あんたの獲物、ひとつもヒビがなかった。丁寧な仕事には、丁寧な駄賃さ」

✦ ✦ ✦

宿への帰り道、キーラは夕焼けの通りを、ゆっくり歩いた。

懐には報酬と買い取りぶん。荷物の奥には、金色の小瓶がひとつ。今日の帳簿は、文句なしの黒字だ。でもいちばんの実入りは、たぶんØでも瓶でもない。

その夜の日記は、少しだけ長くなった。

『ワーバット、十二匹。ごめんね、って思いながらやった。それでいいのかは、やっぱりまだわからない。でも、嫌いなままやりなさいって、薬師のおばあさんが言ってた。嫌いなまま、丁寧にやった。

もらった時間は、薬になって、だれかの冬をあっためるらしい。

時間って、ちゃんと回ってるんだ。わたしも回すほうの人に、なれてるといいな。』

書き終えて、キーラは金色の小瓶を、ランプの火に一度だけかざした。とろり、と揺れる光を見てから、荷物のいちばん奥に大事にしまい直した。

明日の朝、出張所で依頼票に判をもらったら、そのまま北へ発とう。ノルディオの次は、峠。峠の向こうは、いよいよ雪の国への道だ。

そう決めて眠った翌朝、町じゅうの店が閉まっていることを、キーラはまだ知らない。

皆さんからいただいた時間 196.32Ø
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