◀ 目次へ
CHAPTER II 第18話 ふたりたび
Ourhour-Traveler

第18話 ふたりたび

第二章 銀色の書庫 編

遅めの昼食を終えた後、二人は歩きながら会話を続けていた。

その時キーラは、旅を始めるきっかけになった白い髪の旅人の話をした。その旅人に見せてもらった世界が忘れられなくて、旅に出たこと。行き先は、特に決めていないこと。

「……その旅人の方は、只者では、ないですね」

「でしょ!? もう、ほんとにすごかったの。舞うみたいに戦うんだよ」

海賊の頭領を制圧する実力。全ての武器を扱う技術。詠唱もなしに他人の潜在能力を引き出す魔法——そんな魔法、どの理論書にも載っていない。

気になる、非常に気になる。でも今は、目の前の話が先だった。

「それで、プシュケさんはどこへ行く途中なの?」

返答に、少し迷った。

初対面の人に話すことじゃない。でも、隠すことでもない。それに——この人はさっき、見ず知らずのわたしのために、食事を放り出して走ってきた人だ。

「……探しものを、しています」

「探しもの」

「華、です。あらゆる病を治す、と言い伝えられている華。永久氷星華——キュラリア、という名前です」

キーラはそれを聞いて、笑わなかった。おとぎ話だと言って流しもしなかった。ただまっすぐにプシュケを見て、聞いた。

「誰か、治したい人がいるんだね」

「…………母、です」

自分でも驚くくらい、するりと言葉が出て、出てから自分で驚いた。この開示は線の内側のはずだった。線を越えさせたのは質問の形だ。「なんの花?」でも「本当にあるの?」でもなく、花の先にいる人をまっすぐ聞いてきた。この人の質問は、いつも物より先に人に届く。

「母は、珍しい病気で。いまは……眠っています。ずっと。だからわたしは、その華を探して、王国を出ました」

「キュラリアって、どんな花なの? 色とか、形とか」

「……分かりません」

「え」

「絵が、残っていないんです。古い本に、名前と、効能と、断片の言い伝えだけ。氷のように咲く、と書いた本と、光のように咲く、と書いた本があって、両方を信じるなら、氷のように光る花、ということになりますが……見た人の記録が、そもそも」

「じゃあ、見つけたら世界初かもしれないんだ」

プシュケは、歩く足を一瞬止めた。

ないない尽くしの話を、そういうふうに言い換えた人は初めてだった。絵がない、記録がない、偽物の掴みようもない。だから見つけたら、それが世界で最初の一枚になる。

「……そういう、考え方も、あるんですね」

「商人の娘なので。ないものは、高く売れるの」

「売りません」

「例えだよ!?」

九年キュラリアを探してきて、その間にこの話を人にしたのは、数えるほどしかない。返ってくる反応は、三種類に分類できた。憐れみ、おとぎ話への苦笑、家名への忖度。

『見つけたら世界初』は、記録表になかった。四つ目の欄を、心の記録帳に作る必要がある。

それからキーラはふと、遠くを見る目になった。

「探しもの、かあ。……そういえば、ラースさんも言ってたんだ。なんのために旅してるのって聞いたら、『探しものかな』って」

「例の、白い髪の旅人さん、ですか」

「うん。何を探してるのかは、教えてくれなかったけど」

キーラは胸に手を置いて、こう続けた。

「世界ってさ、もしかして、探しものをしてる人でいっぱいなのかな」

「……かも、しれません」

だとしたら、とプシュケは思った。探しものの旅の途中で、探しもの同士が出会うのは——そんなに、珍しいことではないのかもしれない。今日みたいに。

キーラは、しばらく黙って歩いていた。同情の言葉を探している沈黙とは、違う気がした。もっと、なにかを決めるための沈黙に見えた。

「ねえ、プシュケさん。……華を探すなら、道は同じだよ」

え、とプシュケは顔を上げた。

「手がかりを探して回るんでしょ? わたしは世界を見て回るの。行く先々でいろんな場所に寄って、いろんな人に会って——ほら、同じ。……ねぇ、一緒に旅、どうかな?」

プシュケは、すぐには答えられなかった。

五秒——きっちり五秒、黙っていたと思う。

(初対面、です。今日、会ったばかりの人です。素性も、実力も、ほとんど知りません。合理的に考えれば、即答するべきでは——)

理屈はそう言っていた。でも、

初対面でこんなに素直に話せた人は、はじめてだった。母のことをこんなに簡単に口に出せたことも。この人の隣は、どうしてか風通しがいいのに寒くない。

(……この人となら。一緒に旅をしても、いいかもしれない、です)

「……はい」

声が、ちょっとだけ小さくなった。

「よろしく、お願いします」

キーラの顔が、ぱっと明るくなった。夕焼けみたいな笑い方をする人だな、とプシュケは思った。

✦ ✦ ✦

宿泊先の分かれ道までは、市場の大通りを抜けることになった。

夕方の市は、朝よりも人が多い。売り切りたい店と、買い忘れた客が、通りの真ん中でぶつかり合う時間だ。プシュケは無意識に肩をすぼめた。声の大きい人。距離の近い人。袖の触れる人。この通りは、苦手なものの見本市だった。

ところが歩いてみると、思ったより削られなかった。

なぜだろう、と数歩ぶん考えて分かった。隣のキーラが、いつのまにか人波の側を歩いている。ぶつかりそうな酔客の肩を半歩でよけ、突き出される試食の串を「わ、おいしそう! でも今日は大丈夫!」と笑顔のまま受け流し、呼び込みの威勢には呼び込みの倍の元気で手を振り返して、それでいて足は一度も止まらない。プシュケの側には、人がほとんど来なかった。来る前に、隣で何かが済んでいる。

(……この人の隣は、なんだか——)

なんだか、の続きがうまく言葉にならなかった。歩きやすい? 静か? どれも少しずつ違う。分類できない事象を無理に分類すると、記録の質が落ちる。プシュケは心の記録帳の欄外に『保留』とだけ書いておいた。

「あ、そうだ」

それぞれの宿泊先の分かれ道についたところで、キーラがくるりと振り向いた。

「プシュケちゃんって、呼んでいい?」

プシュケは、また少しだけ黙った。

ちゃん。ちゃん付けで呼ばれたことは、ほとんどない。貴族の子女としては、いささかどうかと思う、思うのだけれど。

「…………お好きに、どうぞ」

「じゃあプシュケちゃん! 明日の朝、東の門で待ち合わせね!」

ぶんぶんと手を振って宿へ歩いていく背中を見送りながら、プシュケは自分の口元がほんの少しだけ緩んでいることに——気づかないふりをした。

宿への帰り道、ひとりに戻った路地で、プシュケは今日という日を、頭の中で振り返った。

朝の時点では、紙とペンの購入、本屋の調査、宿で写本の整理を予定していたが、全ては達成出来なかった。

(計画の乱れは、本来よくないです。……でも)

でも今日の乱れは、悪くない乱れだった。

九年間、プシュケの計画は一人分の大きさで組まれてきた。

明日からは、二人分。歩幅も、食事の量も、宿の部屋数も、ぜんぶ計算し直しだ。その計算し直しが面倒だと感じられない自分を、プシュケは少しだけ不思議に思った。

その夜、宿の机でプシュケは旅の記録帳を開いた。

『アルメリオにて。紙とペン、購入。薬草図譜は無し。リブロンにはあるとのこと。路地で三人組に絡まれる。』

そこまで書いて、ペンが少し止まった。

『同行者一名。キーラさん。ナビアの人。風の三級相当。声が大きい。距離が近い。……悪い人ではない。』

読み返して、最後の一文を線で消した。

『……いい人だと、思う。』

記録帳を閉じてから、プシュケは荷造りを始めた。

一人分の荷物は、九年かけて完成されている。着替え、薬、地図、筆記具、資金、そして本。問題は、いつも本だった。旅の鞄に入る本は、七冊。屋敷から持ってきた本と、道中で買った本を合わせると、候補は倍以上ある。

机に並べて、選ぶ。医学書は確定。薬草図譜の写しも確定。伝承集も——確定。三冊目までは、いつも速い。四冊目から、手が止まる。

いちばん長く止まったのは、いちばん古い一冊の前だった。氷魔法の基礎理論。表紙の角は擦り切れて、背は二度、自分で綴じ直してある。中身はとうに全部頭に入っている。持ち物の価値を重さで割る計算式に入れれば、真っ先に置いていくべき一冊だった。

プシュケはその一冊を、鞄のいちばん底に入れた。

基礎に戻れる者だけが、遠くへ行ける——明日からは、二人で歩く旅だ。いちばん底に、いちばん戻れる場所を敷いておく。それは荷物ではなくて、たぶん身体の一部のようなものだった。

それから残りの枠を三回入れ替えて、鞄の蓋を閉じたのは夜半を回ったころだった。

✦ ✦ ✦

翌朝、プシュケは約束の一時間前に、東の門に着いた。

早すぎるのは、分かっていた。分かっていて、眠れなかったのだから仕方がない。誰かと旅をするのは、生まれて初めてなのだ。

キーラは、約束のちょうどの時間に駆けてきた。

「おはよ、プシュケちゃん! ……あれ、もしかして待った?」

「……いま、来たところです」

顔には全くでなかったが、なんだか少し照れ臭かった。

そんな様子を知ってか知らずか、キーラは旅の開始を告げた。

「そう?それじゃ、行こっか!」

少し歩いて、気づいたことがあった。

キーラの歩幅が、途中から変わったのだ。

最初の数分、プシュケは小走り気味だった。身長差と脚の長さの差で当然そうなる。息を整えるのに苦労しはじめたころ——キーラの歩みが、すっと緩んだ。会話は途切れなかったし、キーラは前を向いたままだったから、たぶん意識してやったのではないと思う。隣の呼吸を聞いて、体が勝手に合わせたのだ。

(……この人は、そういう人なんだ)

歩きながら、行き先を確認した。

「プシュケちゃん、次はリブロンだっけ?」

「はい、そうです。ここから東に、徒歩で十日ほど。学者の町で、大陸でも指折りの古書の集積地です。キュラリアの伝承を、そこで調べ直したくて。……あとは、その、個人的にも寄りたい本屋が」

「学者の町?凄いね!でも、本の町かぁ〜……」

キーラの語尾が、正直に垂れ下がった。

「……本、苦手ですか」

「苦手っていうか、三頁で寝ちゃう」

「さんぺーじ」

「でも行こう! プシュケちゃんの探しものが先! それにほら、学者の町ならおいしいものも……あるよね? 学者さんも、ごはんは食べるもんね?」

「食べる、と思います」

「よし、それじゃあ決まり!」

とキーラは元気よく右手を掲げた。

理屈と食い気が同居した決まり方だったけれど、進路は東、リブロンへ。二人旅の行き先が、初めてひとつになった。

そしてその旅を見送るかのように、空はよく晴れていた。

皆さんからいただいた時間 194.98Ø
◀ 第17話 目次 第19話 ▶