「……というのが、わたしの旅です」
焚き火は、少し小さくなっていた。プシュケは語り終えて、湯呑みの白湯をひとくち飲んだ。
長く話しすぎたと思った。重い話を聞かせすぎたとも。初めて会って数日の人に、湿っぽい身の上話。呆れられるか、気を遣わせても仕方がない。
プシュケの過去を聞いても、キーラは泣かなかった。
かわいそうに、とも、大変だったね、とも言わなかった。そういう言葉を全部飛ばして、キーラは火に薪を一本足しながら言った。
「じゃあ、絶対見つけようね」
顔を上げると、キーラはにっと笑っていた。
「キュラリア。絶対、見つけよう。わたし、探すのは得意だよ。市場でお母さんの取り置きの飴、何回隠されても見つけたし」
「……飴と、伝説の華を、一緒にしないでください」
「一緒だよ。『どこかにはある』って信じてるほうが、目がよくなるの」
「理論的な、根拠は」
「ないよ? でも、飴は十八回見つかった」
「じゅうはちかい……」
つい、聞き返してしまった。十八回隠して十八回見つかる隠し場所とは。いや、見つける側の執念とは。
「十八回目はね、壺の中の豆の、そのまた下だったの。手ぇ突っ込んで肘まで豆まみれ」
「もはや、飴の値段を、超えています」
「値段じゃないの。見つけるって決めてたから」
言いながら、キーラは荷物の小袋をごそごそやって、飴をひと粒取り出した。出がけに母親が荷物の底へ忍ばせていた、取り置きの飴の生き残りだという。あの人、まだ隠すんだよ——と笑いながら、火明かり越しに差し出してくる。
「はい。証拠品」
「……証拠品の意味が、分かりませんが」
理屈で断る筋道を探しているうちに、手が先に受け取っていた。包みを剥がして、口に入れる。
「…………甘い、です」
思ったより、素直な声が出た。目が少し丸くなったのが、自分でも分かった。焚き火の向こうでキーラがなんだか満足そうな顔をしたので、プシュケは湯呑みへ視線を戻した。飴は頬の内側で、ゆっくり小さくなっていった。
「……まぁ、探しものの成功例として、一応覚えておきます。」
プシュケは飴を頬張った口をつぐんで、やれやれという顔をしながら返事をした。
しかしそれとは別に、先ほどのキーラが発言した、
『見つけるって、決めてたから。』
その一言が、ストンと胸の奥に落ちた。九年間の記録の山より、二十七件の症例より、よっぽど強い言葉に聞こえた。理屈では全然なかったのに。
「……ねえ、プシュケちゃん。伯父さんって、どんな人?」
薪の爆ぜる音の合間に、キーラが聞いた。
「フォルシスさん、だっけ。話に出てくるたび、なんかこう……不器用の匂いがする」
「におい……。……怖い人、です」
少し考えて、プシュケは言い直した。
「怖い人で……やさしい人、です。順番で言うと、そうなります。会うと、まず怖い。あとから、ぜんぶやさしかったと分かる」
「あー。うちのお父さんの逆だ。まずやさしくて、あとから帳簿にきびしい」
「……いつか。旅が終わったら、紹介します。キーラさんはたぶん、最初の『怖い』で笑うので、ちょうどいいです」
「どういう意味!?」
そう突っ込みを入れながら、キーラは糧食を頬張った。
(……どうして、でしょう。この人の言葉は、どうしてこんなに素直に受け入れられて、こんなに安心するんでしょう)
九年間、誰に話しても返ってきたのは、同情か、心配か、憐れみだった。おとぎ話に縋る可哀想な子、その視線に慣れたつもりでいた。
『同行』と言った人は、この人が初めてだった。
「……はい」
プシュケは、湯呑みを両手で包んで、小さくうなずいた。
「絶対、見つけます。……見つけましょう」
焚き火の向こうで、キーラが「よし!」と拳を握った。
それから少しだけ声を落として、プシュケに聞いた。
「……ねえ。見つかってさ、お母さんが治ったら——プシュケちゃん、最初になにしたい?」
考えたことがなかった。
九年間、「治す方法」のことばかり考えてきた。治ったあとのことは、怖くて、考えられなかった。考えて、叶わなかったときの落差が、怖かったのだと思う。
でも、焚き火の前でキーラの顔を見ていたら——するり、と出てきた。
「……ご本の、つづきを」
声が、思ったより小さくなった。
「読みかけの本が、あるんです。母と読んでいた物語。しおりが、九年間、同じ頁に挟まったままで。……先を、読んでいないんです。母の声で聞くって、決めているので」
キーラは、しばらく黙っていた。
それから、火のはぜる音にまぎれるくらいの声で「うん」と言った。
「じゃあ、それが一番。それを一番にしよう。キュラリアは、そのしおりのために探すんだ」
夜空には星が出ていた。ストラルの空より少しだけ低いところで、同じ星座が回っていた。王都の屋敷の氷の部屋にも、この星の光は、窓から少しだけ届いているはずだった。
その夜、プシュケは久しぶりに、夢も見ずにぐっすり眠った。
✦ ✦ ✦
翌朝が、少しだけ気まずかった。
正確には、気まずいのはプシュケだけだった。夜の焚き火には不思議な力がある。話すつもりのなかったことまで、するすると話させてしまう力が。朝の光の中で思い返すと、しおりの話までしたことが、じわじわと恥ずかしくなってきた。
キーラはといえば、いつもどおりだった。
「プシュケちゃん、朝ごはん! 堅焼き菓子を白湯でふやかすと、おかゆの親戚になります」
「……なりません、それは」
「なるの。ナビアの発明」
ゆうべの話を蒸し返さない。腫れ物にも触らない。ただ、堅焼き菓子のおかゆ……にはならず、ふやけた菓子だったものを分け合って、いつもどおりに荷物をまとめ、いつもどおりに歩き出す。
その「いつもどおり」が、どれだけありがたいか。キーラはたぶん、一生気づかないんだと思う。
✦ ✦ ✦
午前の街道はなだらかな丘越えだった。荷物の音と、足音と、ときどきキーラの鼻歌。
丘のてっぺんで、キーラが言い出した。
「ね、プシュケちゃん。お互いの魔法、ちゃんと見せ合わない? これから一緒に旅するんだし、いざってとき、相方の手の内を知らないと危ないでしょ」
「……確かに、そうですね」
丘の上の開けた草地で、小さな披露会になった。
まずキーラ。走り込んで、槍を振る。穂先に風が集まって、ヒュンと草を薙いだ。それから風車の要領で、風だけをふわりとプシュケのほうへ送ってみせた。前髪が、やわらかく持ち上がる。
「へへ。あったかいでしょ、わたしの風」
「……はい、あたたかいです。それと——詠唱、していませんね?」
「詠唱?」
「……本格的に、我流なんですね」
次に、プシュケ。姿勢を正し、杖を構え、教科書どおりの拍で、詠唱を口にする。
「白妙の息吹よ、いざ我が掌に凍てつきて、氷の華として咲き誇れ——氷華」
草地の一角に、霜の華が、ぱきぱきと音を立てて咲いた。円形に、均等に、設計図があるみたいに正確に。
しかも完全に近い詠唱を行ったからか、その規模は今まで見たどの魔法よりも広かった。
キーラが「おお〜〜!すごくきれい!」と拍手し、魔法の残滓でできた氷の結晶がキラキラと舞う中、霜の縁にしゃがみこんであるもの指さした。
「ね、これ、氷のお花みたいに咲かせたの、わざと?」
「……半分、癖です。母の氷像の、名残かもしれません」
「じゃあ、お母さん直伝だ」
「————はい。直伝、です」
手の内の披露会は、そのまま簡単な連携の相談になった。プシュケの詠唱中は、キーラが前に立つ。キーラが深追いしたら、プシュケが足元を凍らせて敵を切り離す。決めごとは二つだけ。だが二人の戦い方の骨格には、それだけで十分だった。
「本番で使う日が、来ないといいけどね!」
「……来ます。旅とは、だいたいそういうものです、と本に書いてありました。」
「プシュケちゃんの読む本、ときどき不吉なんだよなあ」
昼の休憩のとき、ふとプシュケは口を開いた。
「あの。キーラさんの髪飾りの話も、聞きたいです」
キーラが、きょとんとした。
「わたしばかり、話しましたので。……その、等価交換、です」
「等価交換」
キーラは笑って、髪元の小さな花の飾りに指先で触れた。
「幼馴染みがくれたの、リーリアっていう子。いまは離れて暮らしてるんだけど……昔っから、泣いてる子がいると自分のことみたいに怒って、そのくせ最後は絶対笑わせにくる、変な順番の子でね」
海賊の夜に髪飾りを握って眠ったこと。旅支度の朝に結び直したこと。キーラの話はプシュケの話より、ずっと短くて、ずっと軽かった。軽かったけれど、髪飾りに触れる指の丁寧さは、プシュケが母の形見に触れるときと同じだった。
「……おそろい、ですね」
「ん?」
「大事なものが、頭の上にあるの。……わたしのこれは、母の形見です。キーラさんのそれは、幼馴染みさんの」
キーラは目をぱちぱちさせて、それから嬉しそうに笑った。
「ほんとだ。おそろいだ」
午後の街道で、こんどはプシュケが聞いてみた。
「キーラさんは……旅の終わりに、何が見つかれば、満足なんですか」
キーラは、うーんと空を仰いだ。たっぷりの歩幅ぶん考えてから、出てきた答えは、こうだった。
「わかんない!」
「わかんない、ですか」
「うん。でもね、見つかったら、たぶん分かると思うの。『あ、これだ』って。……だから、いっぱい見て歩くの。目印のない探しものは、通り過ぎたら困るから」
理屈になっているような、いないような答えだった。でも、この人の「わかんない」は、投げやりの「わかんない」ではなかった。まだ白紙の頁を、楽しみにしている人の「わかんない」だった。
「あ、でもね、ひとつだけ決めてるのはあるよ」
「聞きます」
「旅の終わりに、『行ってよかった』って言うこと。何が見つかっても、見つからなくても、最後の一言はそれにするの。……先に決めとくと、そうなるように歩くから」
願いごとは、叶ったあとの分まで考えておく。ゆうべの、あの理屈と同じ組み立てだった。この人は、根拠のない知恵をうまく運用している。そして厄介なことに、その知恵はプシュケの知るどの論法より、人を歩かせる力が強かった。
(わたしの探しものには、名前がある。キーラさんの探しものには、まだ名前がない)
(……どちらが先に見つかるか。ちょっとだけ、競争ですね)
なんだか、『同行者』という言葉の意味を、辞書より正確に知ったような気がする1日だった。