店先で、ベシルが男たちに囲まれていた。
男は三人で、真ん中のひとりだけ身なりが違った。仕立てのいい上着に、指という指にはまった指輪。恰幅のいい体を揺らして、その男はむしろ丁寧すぎる口調で喋っていた。
「ですからね、ベシルの旦那。あたしは何も、無理を言っちゃいない。期日までに利息ぶんの時間を払う。借りたときに、旦那が自分で判を押した約束だ。……ねえ? 約束は、守らないと」
「グロムさん、そりゃ分かっとる。分かっとるが、今月の計算は、どうにもおかしい。先月より利息が——」
「おかしかないですよ」
男——グロムは、分厚い帳簿を、ぽん、と叩いた。
「ぜんぶ、ここに書いてある。数字ってのは、嘘をつかない」
プシュケとキーラは、顔を見合わせた。
「……プシュケちゃん、あれって」
「時貸し屋、だと思います」
時貸し、時間の金貸しだ。
まとまった時間が要る者に、時間を貸す。期日までに、利息をつけて返させる。返せなければ——借り手の寿命から、直接取り立てる。
本で読んだ知識ではそれ自体は違法ではない、むしろ古い商売だ。店の改修、病の治療、不作の年の食いつなぎ。まっとうな時貸しに救われる人も大勢いる。けれど、と本には続きがあった。利息の計算は複雑で、複雑なものはしばしば「合法的に」歪む——。
そして、時貸しの取り立ては普通の借金とは重みが違う。
時元コインで返せなくなれば、寿命から直接取られる。手首の結晶から、握手ひとつで。法の上では「合意にもとづく返済」だ。けれどそれは言い換えれば、帳簿の数字がそのまま誰かの余生の長さになるということだった。
通りの様子も気になった。
騒ぎに気づいた近所の人たちが、遠巻きに足を止めている。写本屋のおかみ、製本工房の職人、パン屋の若い主人。みんなベシルを心配する顔をしている。しているのに——誰も、近づかない。目が合うと、そっと逸れる。
「……ねえ、プシュケちゃん。あの人たち、なんで」
「たぶん……あの三人に、見覚えがあるんです。それも、良くない形で」
グロムの時貸しは、この学者町に蜘蛛の巣のように張っていた。写本の仕入れに、工房の道具替えに、子の学費に。本の町の商いは元手が要り、実入りは遅い。時貸しの世話になった店は、一軒や二軒ではなかった。だから誰も逆らえない。ベシルの店先は、町のみんなの「明日の自分の店先」だった。
「……みんな、心配してるのに、出てこられないんだね」と、キーラが小声で言った。
「ええ。……出てこられない事情が、あるんだと思います」
「グロムさん。わしはもう、六十五じゃ」
ベシルの声が、少しだけ揺れていた。
「あんたの帳簿のとおりに払っとったら、わしの残りは、あと何年になる。……本と一緒に死ぬのは本望じゃが、借金と一緒に死ぬのは、ごめんじゃよ」
袖口から覗く老店主の結晶は、深い、深い色をしていた。六十五年ぶん、本の谷で使い込まれた色だ。だが今は、その残りの時間を、帳簿の数字が毎月削っている。
「だからね、旦那。そうならないように、あたしは『ご相談』に乗ってるんじゃないか。店の権利書を担保に、借り換えって手も——」
時貸し屋は、店ごと取る気だ。
プシュケの中で、何かの温度がすっと下がった。怒ると頭が冷える質で、氷属性使いというのは、案外そういうものかもしれない。
「お困りごと、ですか」
気づいたら口が動いており、キーラより少しだけ前に出た。
グロムの視線が、こちらを向いた。値踏みの目が、プシュケの服の仕立てと、髪飾りの細工を順番になぞる。商人の目だ。それも、あまり品のよくないほうの。
両脇の二人もこちらを見た。一人は首の太い大男で、もう一人は目つきの鋭い痩せた男。腕っぷし係と見張り係。時貸しの「ご相談」に、なぜ腕っぷしが要るのか——その答えが、この商売の中身だった。
「……これはこれは、お嬢さん。うちはただいま、旦那と商売の話の最中でしてね。…子どもの出る幕じゃあない」
「商売の話なら、なおさら興味があります」
キーラが、すっ、と隣に並んだ。槍は背負ったまま手もかけていないが、立ち位置だけは正確だった。プシュケと大男の間。いつでも一歩で割り込める角度。丘の上で決めた、二つの決めごとのうちの一つ目——詠唱中は、前に立つ——が、詠唱の始まる前から、静かに運用されていた。
プシュケは、帳簿を指した。
「その帳簿。拝見しても?」
✦ ✦ ✦
グロムは、笑った。
「いいですよ」
即答だった。むしろ愉快そうに、帳簿を差し出してくる。
「どうぞどうぞ、隅から隅まで。——言っておきますがね、お嬢さん。うちの帳簿は、組合の確認を三度通ってる。数字は正直だ。読める人間が読めば、読めるほどにね」
自信の理由はすぐに分かった。
帳簿は綺麗だった。日付、貸付額、利率、返済記録。数字は几帳面に並び、判もそろい、一見して破綻がない。素人が眺めれば、五分で音を上げる出来だ。よくできている、よくできすぎている。
「ちなみにお嬢さん、算術はお得意で?」と、グロムが世間話の調子で聞いてきた。
「……人並みには」
「そりゃ結構。うちの帳簿を確認した組合の先生がたも、みぃんな『人並み以上』でしたがねえ。三度とも、判をくださいましたよ。ええ、三度とも」
言外の圧が、指輪の照りと一緒にてらてらしていた。専門家が三度見て通った。子どもが何度めくっても同じこと——そう言っている。プシュケは返事をしなかったが、その代わりに頁をめくる速度を一定に保った。
(三度通った。……なら、この帳簿の細工は、「検査の通り方」を知っている細工です)
組織の検査というものは時間が限られている。限られた時間で見るのは、まず条項、次に大きな数字、最後に判の有無。つまり、条項と大口と判を完璧にしておけば、だいたいの検査は通る。細工を仕込むなら、その三つのあいだ。誰も長く見ない、小さな数字の継ぎ目のところ。
読む場所の見当はついた。あとは、目と根気の勝負だった。
「ベシルさん。確認ですが、お借りしたのは」
「三年前じゃ。店の屋根の修理と、写本の仕入れでな。……元金は、とっくに返し終わっとるはずなんじゃ。なのに利息が、減るどころか、じわじわ増えていきよる」
「ふむ」
プシュケは、店先の樽に帳簿を広げた。
「——三分、ください」
グロムが、指輪を鳴らして笑う。
「ほう? 三分で、組合が三度通した帳簿から、何が出てくるのかな? いいでしょう、余興だ。きっかり三分、進呈しますよ。その代わり何も出てこなかった場合は…ねぇ?」
キーラが、そっと耳打ちしてきた。
「プシュケちゃん、いける?」
「これは、言うなれば本の一種です」
「おお……頼もしい。わたしは商いの計算は得意だけど、こういう専門的な知識は持ってなくて……」
ページをめくる。数字の列が、目の奥に流れ込んでくる。
「そして本は、裏切りません。——書いた人間の中身まで、ぜんぶ書いてあるので」
一分目。貸付の条項を頭に入れた。月利、返済期日、遅延の扱い。文言は、隙がない。むしろ丁寧すぎるほど、借り手を守る条項まで書いてある。——この帳簿は、書いてあることは正しいのだ。
二分目。返済記録を、条項に当てはめて検算した。頭の中に算盤を並べる。書庫の九年で、症例の統計を取り続けた頭だ。数字の列は、文章よりよほど素直に読める。……合わない月が、ひとつ。ふたつ。……七つ。
「お嬢さん、そろそろ二分ですがねえ」
グロムの声が、余裕の分だけ粘っこくなるが、無視した。本に没頭しているときの集中力は、王都の家庭教師のお墨付きである。
その集中の外側で、キーラが時間を稼いでいた。
「ね、おじさん、その指輪、いくつはまってるの? 七個? うわ、八個! 商売、繁盛してるんだねえ!」
「……なんだい、この嬢ちゃんは」
「そういえばおじさん、時貸しってどこで開業の許しをもらうの? あっ、その腰の、金色の小瓶! 時間のくすりだ、薬師のおばあちゃんの店で見たやつ! ……えっ、待って、あれって一本で、うちの店が1ヵ月も稼がないと買えないやつじゃ——なんでおじさんが持ってるの? 質流れ? へえ……時貸し屋さんには、時間の薬まで流れてくるんだ」
商売に交えた質問の弾幕は、市場育ちの十八番だった。相手を怒らせない速度で、しかし途切れず間断なく。グロムの注意の三割が、確実にそちらへ吸われていく。大男が苛立って少し出ると、キーラの立ち位置がその分だけずれて防ぎ、また正確な角度に戻った。
ベシルはその様子を、祈るような顔で見ていた。三年間、一人で抱えてきた帳簿を、いま会ったばかりの旅の少女が二人がかりで開けようとしている。老店主にできるのは、祈って待つことだけだった。
三分目。合わない七つの月を、横に並べた。
(七つの月。……ばらばらでは、ない。並べると、癖が見える。書いた手の、癖が)
数字は嘘をつかない、とグロムは言った。それは半分だけ正しい。数字そのものは嘘をつかない。でも、数字の使い方は人がやる。人のやることには癖が出る。九年間、二十七件の症例を並べ替えては読み直してきた目に、その癖は行間の文字と同じくらいはっきり読めた。共通点が、三つ浮かび上がる。
——見つけた。
この帳簿は、いっけん正しい顔をした嘘だ。条項は正しい。記帳も丁寧。ただ、正しさと正しさの継ぎ目に、三種類の細工が几帳面に埋め込まれている。几帳面な嘘は、几帳面に読めば必ず見つかる。本と同じだ。
プシュケは顔を上げた。
「見つけました」
その声を聴いたグロムの指輪の音が止まり、同時にキーラの質問の弾幕も止まった。遠巻きの人垣が、一歩ぶん近くなった気配がした。
「三つ、あります。——どこから、お聞きになりたいですか」
樽の上の帳簿は、三分前と同じ顔でそこに開かれていた。数字は嘘をつかない。そのとおり。だから、これから数字に全部しゃべってもらう。