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CHAPTER II 第37話 東へ
Ourhour-Traveler

第37話 東へ

第二章 銀色の書庫 編

東門を出ると、道は二本に分かれていた。

北東へ向かう街道と、東へまっすぐ伸びる街道。二人が選ぶのは、東だ。

「確認です。まず東へ十日ほどで、帝国領のデンタルという町につきます。そこから南へ下って旧タイラー領の辺境へ入り——『知られざる魔法の技術書』が眠る洞窟の噂を、たしかめる」

プシュケは、昨夜書き上げた旅程の頁を開いた。

「そのあいだも、キュラリアの手がかりの聞き込みは、続けます。『特殊な氷の地』の候補は、書き出してあります。北の氷結地帯、東の山岳の氷穴、あとは……候補七件。旅程に沿って、潰していけます」

「候補七件! いつのまに」

「昨夜、写しと地誌を突き合わせました。『特殊な氷』の条件に合いそうな土地を、伝承の分布と重ねて。……ただ、正直に言うと、七件とも、決め手はありません。行って、見て、聞くしか」

「充分だよ! 行って、見て、聞くのは、わたしたちのいちばん得意なやつ」

キーラは指を折った。

「猫は見つけた。狼は追い払った。木は引っ越させた。……ほら、実績は充分」

「……並べると、冒険譚というより、便利屋の帳面ですね」

「便利屋、大事だよ? 世界はだいたい、困りごとでできてるんだから」

それは案外、真理かもしれなかった。世界はだいたい困りごとでできていて、困りごとの隣には必ず誰かがいる。誰かのいるところには話がある。話のあるところに——手がかりは落ちている。九年間の書庫では、ついぞ拾えなかった種類の手がかりが。

「おおー。旅のしおりだ」

「調査計画書、です」

「うちのは、こっち」

キーラが掲げたのは、例の旅日記だった。開いたページには、大きな字でひとこと、『ひがし!』と書いてあった。

「……計画性の差が、すごいです」

「役割分担! 計画はプシュケちゃん、勢いはわたし!」

「勢いは、係なんですか」

「係だよ。いちばん最初に要る係!」

歩き出す。朝の街道は空いていて、露に濡れた草の匂いがした。

しばらく行ったところで、キーラがふと、隣を見て笑った。

「どうか、しましたか」

「んーん。……プシュケちゃん、歩くの速くなったなあって」

言われて、気づいた。

初日、小走りで追いかけていた歩幅が、今は並んでいる。キーラが合わせてくれたぶんと、プシュケの歩きが旅の足になったぶんと、たぶん半分ずつ。

「……旅、ですので」

「うん。旅だね」

振り返ると、リブロンの町はもう本の背表紙みたいに小さくなっていた。町の上の空に、朝の雲がひとつ。行く手の東の空は、どこまでも晴れていた。

✦ ✦ ✦

昼前、街道の茶屋で休憩を取った。

東西の旅人が行き交う、床几と大鍋だけの店だ。茶と蒸かした芋を頼むと、相席になった行商人たちの世間話が、聞くともなしに耳に入ってきた。

「——だからよ、東回りはやめとけって。帝国の検問が、また増えたんだと」

「増えた? なんでまた」

「知らねえよ。けど、荷改めが倍うるさくなったってのは、ほんとだ。聖騎士団サマの中で、なんかごたごたがあったって噂も聞くぜ」

「へえ。あの品行方正の聖騎士団が」

「噂は噂さ。けど、煙のねえとこに噂は立たねえ」

プシュケとキーラは、芋を挟んで目だけで会話した。

帝国、二人の旅程は旧タイラー領の辺境が目的地だが、今の経路的に帝国領の一部を通らざるをえず、旧タイラー領自体も帝国の勢力圏と地図の上で近い。

「ね、おじさんたち。その検問って、どのへんから増えるの?」

キーラが芋を片手に、ごく自然に世間話へ混ざった。市場育ちの聞き込みは、聞き込みの顔をしていない。

「今の地域は、ストラル王国とダルケン帝国の緩衝地域だからまだ何もないが、そのうち数日歩くと帝国領に入り、一番初めに見える町から検問が厳しくなるぞ。」

「あ、そうだそうだ、東は水場が遠いぞ。革袋は二つ持て」

「そういえば帝国は麦の一大産地で、パンがうまくて——」

検問についての話を聞くはずが、行商人たちはあれよあれよと、旅の心得や次の町のことなど、聞いてもいないことを色々教えてくれた。

行商人たちの話を聞いて、プシュケはキーラに耳打ちしながら話しかけた。

「昔の大戦時や、伯父の時代ならまだ緊張体制なのはわかりますが、一応平和になって国交を結んでから、二十年以上経過してるので問題ないと思うのですが……。」

自分が知識として得ている帝国の情報と、今聞いた本の外の情報を照らし合わせる。

しかし今の場所から目的の旧タイラー領へ行くためには、陸にしろ、海にしろ、どのルートでも帝国領を通る必要がある。

それに、目的の場所が現在の帝国領の一部に組み込まれている可能性もあるため、どのみち帝国領に足を踏み入れなければならない。

「どのみち、帝国領は通らなければいけません…ので、とりあえずこのまま行こうと思います」

「わかった、とりあえず予定通り進もっか。」

帝国領に入ってからは警戒を強めることとし、予定通りに歩みを進める二人であった。

✦ ✦ ✦

昼すぎ、街道脇の草地でワーラビットの群れに出くわした。

白くて、丸くて、ぽむぽむしてるのが五匹。こちらに気づくと逃げるでもなく、鼻をひくひくさせて見上げてくる。

「……襲って、きませんね」

「うん。畑がない場所のワーラビットは、ただのご近所さん。……あ、ほら、プシュケちゃん。あの子、まん丸」

「…………まん丸、です」

しばらく、二人と五匹で見つめ合った。いちばん小さいのが二歩だけ寄ってきて、鼻をひくひくさせ、興味が尽きたのかぴょこんと草むらへ帰っていった。それに続き、残りの四匹も順々に続いた。それだけの出来事だった。それだけの出来事に、プシュケは気づけば十五分しゃがみこんでいた。

プシュケが猫のときの顔になっているのに、キーラはたぶん気づいていた、けれどなにも言わなかった。旅には、こういう時間も要るのだ。急がない、誰の依頼でもない、ただのまん丸を眺める時間も。

キーラは微笑み顔で、プシュケが満足するまで待っていた。

夕方の道で、小さな騒ぎがひとつだけあった。

前を行く巡礼の一行の、荷車の車輪が轍の穴で外れたのだ。年寄りの多い一行で、力自慢がいない。キーラが駆け寄って車体を風ごと持ち上げ、プシュケが外れた軸受けを調べて、応急の直し方を指示した。

車輪は十五分で直った。巡礼の長老が礼だと言って、二人の額に順番に指で星の印を切った。

「旅の子らに、星々の導きを。……ふたりとも、良い連れをお持ちだ」

「え、分かるんですか? 連れが良いって」

「分かるとも。荷車の直し方でな。——片方が持ち上げ、片方が直す。どちらも、相手を急かさなんだ。連れの良し悪しは、力を合わせるときより、待つときに出るのじゃよ」

長老の言葉を、プシュケは心の記録帳に書き留めた。連れの良し悪しは待つときに出る。九年間の書庫にも、四軒の本屋にも無かった一行だった。道の上の図書館は、装丁こそないが蔵書が尽きない。

その日の野営で、火起こしはキーラが三分で終え、プシュケは氷で川魚を締めた。

焚き火を挟んで、乾いた菓子と魚を分け合いながらキーラが言った。

「ね。次の町に着いたらさ、また美味しいもの探そうね。食べ歩き道中記の、真似っこ」

「……いいですね。記録帳に、食べたものの頁を作ります」

「あ、いいねそれ! 挿絵はわたしが描く!」

「絵心は、あるんですか」

「ないよ!」

「堂々と」

「あとね、宿題も進んでるよ。ほら」

キーラが、焚き火の灯りに二巻を掲げてみせた。本を購入するときにベシルに貰ったしおりは、もう半分を越えたところに挟まっている。

「六十三頁! 壁、どこにもない!」

「……次の巻の、選書の必要がなさそうですね」

「あ、でも三巻の次は、プシュケちゃんに選んでほしいな。食べ物じゃないやつも、そろそろ読めるか、試したい」

「————受注、します」

食べ物じゃないやつ。候補の列が、頭の中でざっと十冊並び直した。旅の本から次はどこへ渡すか。海の本か、雪の本か、それとも思い切って短い物語か。この楽しみは、当分尽きそうにない。

夜空に星が出ていた。

「ね、プシュケちゃん。星ってさ、全部でいくつあるんだろう」

「学者さんが観測したものなら、記録があります。ですが、実数は……たぶん、誰にも」

「じゃあ、それも『まだ誰も確かめてない』やつだ」

「……ええ。世界は、確かめられていないことで、できています」

「よかった。旅の種、なくならないね」

この旅の終わりが、どうなるのかはまだ分からない。分からないまま、それでも東へ行く。願いをふたつ、鞄に入れて。

皆さんからいただいた時間 193.65Ø
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