三人旅の最初の発見は、「生活の時間が、一人ずつ違う」だった。二人までは偶然で合っていたものが、三人になると仕組みが要る。
フィーリスは、朝型である。夜明けの鐘より先に目が覚める。物心ついたときからの習慣で、起きたらまず剣の手入れと、体をほぐす型を一巡り。それから湯を沸かし、朝の茶を淹れる。
キーラは、どこでも型である。眠くなったら三秒で眠り、起こせば三秒で起きる。寝つきと寝起きの良さだけなら、世界最強かもしれない。
問題は、プシュケだった。
「……プシュケさん。朝です」
「…………ん」
「プシュケさん」
「……ぁと、五じかん」
「五時間!?」
夜型、というより書物型である。夜、灯りのそばで本を読みはじめると止まらず、朝は繭のように毛布にくるまって出てこない。毛布から出すためには、キーラが朝ごはんを近くに持っていって、美味しそうな匂いを嗅がせる必要があるほどだ。
「旅に出てからずっとこうなの。本人いわく『朝は、体が本の続きを読んでる』んだって」
「なるほど……。では、朝の見張りの最後は私、寝ずの番の前半をプシュケさんに割り当てましょう。適性に合わせるべきです」
そう言ってフィーリスはその晩、一枚の紙を差し出した。
「当番表を作りました」
火起こし、炊事、水汲み、寝ずの番の前半後半、荷の点検、地図の確認。項目ごとに三人の名前が割り振られ、曜日で回る仕組みまでついている。
二人は、紙を覗き込んで、固まった。
「…………字が」
「綺麗すぎて、こわい」
「軍の書類みたい……いえ、軍の書類です、これは」
「そうでしょうか?」
「で、でも読みやすいのは助かります!」
「それなら良かったです」
なお、当番表は初日から一部改訂された。「火起こし:プシュケ」の行が、本人の「わたしは、火と和解できません」という強い希望と、「じゃあ、私がするよ!」とキーラが名乗り出たことにより、永久欠番になったからである。
もうひとつ、決めるべきことがあった。財布係である。
「三人の共有費——宿代、食費、消耗品は、共同の財布を作るのが良いと思います」
「賛成! で、誰が持つ?」
「そうですね、候補者の検討が必要です。収支記録の正確さ、支出への抵抗力、盗難への警戒度…」
「面接みたいになってきた」
「「……」」
キーラとプシュケの視線が、揃ってフィーリスに向いた。
「わ、私ですか」
「だってキーラさんは、市場で『いいもの』を見ると財布の紐が飛ぶので」
「プシュケちゃんは、本屋で人格が変わるから」
「お互いさまでは!?」
「「だから、フィーリスさん」」
かくして、三人の共同財布は元副団長の几帳面な管理下に置かれることになった。数日経過する頃には、二人はもう帳簿の字が綺麗すぎることに驚かなくなっていた。
ちなみに財布係の運用初日、さっそく試練があった。
フィーリスが旅に必要なサピエトポーションや戦闘で役立ちそうなものを市場で見物していく。金色の魔石ポーションは、値札を見て、そっと棚に戻した。そうしていると、キーラが「いいもの」——革のよく鳴る笛。用途不明——を見つけたのである。
「フィーリスさん! これ! いいものです!!」
「用途はなんでしょうか?」
「鳴らすと、楽しい!」
「……共有費の支出基準に、『楽しい』の項目は」
「作ろうよ! 絶対いつか要るって、楽しいの項目!」
三分の攻防の末、財布係は「月に一度、一人10Øまでの『楽しい枠』」を新設した。これは軍の会計にはなかった勘定科目であるが、この旅には要ると判断した。そして判断できる自分に、フィーリスは少し驚いた。
結果的にキーラ一押しの笛は買われ、その夜の焚き火で鳴らされた。音色を聞くと意外にも心が穏やかになったため、規律が全てではないのかもしれない。
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フィーリス加入にあわせて、道順を三人でもう一度引き直した。
「当初の予定では、このままデンタルの関から帝国領に入るつもりでした」と、プシュケが地図を広げた。「ですが、デンタルは帝都に近い、主要な関所です。検問が最も厳しいと、行商の方々も言っていました。……手配書が最初に回るのも、あそこだと思います」
「はい。私の顔は、いまごろ、詰所の壁に」
「なので——こちらです」
プシュケの指が、地図の上を南へ滑った。峠をひとつ越えた先の、帝国領内の関所町。
「グレンツ。南の関所なら、検問も手配の回りも、一段緩いはずです。旧タイラー領へは、どのみち南へ下りますから、遠回りにも、なりません」
「……私の事情で、道を曲げさせてしまいます」
「曲げたのは、道だけです」と、プシュケが言った。
「そうそう! 行き先は、おんなじ! ……それにね、フィーリスさん。寄り道した道のほうが、いい話が落ちてるんだよ。」
かくして行き先は、南の峠道——関所町グレンツと決まった。
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歩く速さも、三人で組み直した。
キーラとプシュケの二人旅では、キーラが緩めて、プシュケが慣れて、真ん中で落ち着いていた。そこに、行軍の専門家が加わった。フィーリスいわく、隊列の速さは「いちばん遅い者」ではなく「いちばん荷の重い者」に合わせる。そして休憩は、疲れる前に取る。
「疲れてから休むと、体力の回復に時間がかかります。なるべくこまめに小休止、これで一日の距離は逆に伸びます」
「ほんとだ! 夕方なのに、体力が残ってる!」
「軍隊式、おそるべし……」
「ただし」と、フィーリスは生真面目に付け足した。「道端に面白いものがあった場合は、この限りではありません。お二方の旅は、遠征ではないので」
面白いもの臨時停止は、キーラが三日で八回、プシュケが薬草採集で四回止まった。そうやって歩みを止めたぶん、少し移動時間は長くなったが、それでも誰も不満に感じず楽しく旅を続けた。そしてフィーリス自身も、一度だけ止まった。丘の上の景色が、あまりにも帝都の郊外に似ていたからである。その様子を見て、二人は何も聞かずに隣で一緒に景色を見た。それで、充分だった。
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意外な発見もあった。フィーリスが、本を読む人だったことである。
「戦記と、剣技書と、兵法書ばかりですが。……あとはその、恥ずかしながら、英雄譚を少し」
「英雄譚!」プシュケの目が光った。「どの系譜ですか。古典ですか。それとも大戦後の」
「こ、古典です。『十二騎士物語』などは、擦り切れるほど」
「! 初版と改訂版で、五番目の騎士の結末が違うのは」
「存じています! 私は断然、初版派です。あの結末を変えるなど——」
「同意見です……!」
焚き火の脇で、にわかに読書会が始まった。キーラは二人の熱弁を聞きながら、旅日記にこう書いた。『プシュケちゃんとフィーリスさん、本のことになると早口。なかよし』。
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洗濯の日も、事件だった。
川辺で三人ぶんの洗い物を広げたとき、フィーリスの畳み方に、二人の目が釘付けになったのだ。
「……フィーリスさん。その畳み方、なに?」
「軍式です。遠征鞄に最大量を収める畳み方で——角を合わせて、三つ折りにして、こう」
「完璧に四角い……そして、とてもコンパクト」
「服が、書類みたいです」
以後、雨で乾きの悪い日の畳み係はフィーリスに固定され、かわりにプシュケが氷魔法の応用で「絞った服の水分だけ凍らせて叩き落とす」という技術を開発した。生活は、三人ぶんの知恵で日ごとに強くなった。
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夕食も変わった。
キーラの野営料理は、早くて量があっておいしい。そこにフィーリスの技術が加わった。もともと貴族の娘であったため、あまり自分で料理を作らなかったのだが、聖騎士団の遠征で叩き込まれた野戦料理の知識があった。限られた材料を最大限に使う軍隊式の下ごしらえと——意外なことに、香草の使用である。
「この草、入れるんですか? 道端のやつ」
「フェンの葉です。肉の臭みを消します。遠征では、その辺の野草で味を作れる者が英雄になるのですよ」
「英雄の条件その二だ……。ね、他には他には?」
「そうですね、香草は最初で塩は最後。芋は水から。……あとは、隊でいちばん疲れている者の椀を、いちばん深くすること」
「最後の、料理の話じゃないよね?」
「料理の話ですよ。いちばん大事な」
「英雄……! プシュケちゃん、聞いた!? 野草で英雄になれるって! わたし、覚える!」
「キーラさん。その隣の草は、お腹を壊すやつです。摘まないでください」
プシュケの薬草学が判定に入り、キーラの火加減が仕上げる。三人の夕食は、二人のときより確実に一段と豪華になった。
「……おいしい。軍隊式、おそるべしです」
「ふふ。お粗末さまです」
食後は、フィーリスの紅茶と決まった。焚き火のそばで、茶壺がことりと鳴ると、三人ぶんの一日がそこで終わる。そういう形ができていった。暮らしというものは、決めごとの数より、決めなくても決まっていくものの数で、豊かさが測れるのかもしれない。
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夜、寝ずの番の交代のとき、フィーリスはキーラに聞いたことがある。
「お二人は、その……私が帝国の者だと、気にならないのですか」
配備計画を追う旅だ。この先、帝国と敵対する場面は増える。帝国出身の、それも昨日まで帝国軍の中枢にいた人間を、こんなに簡単に輪の中に入れて。
キーラは焚き火に薪を足しながら、きょとんとした。
「気になるって、何が?」
「ですから……帝国は、あなたの国の、その、敵国というか」
「んー……」
キーラは、少し考えて言った。
「うちの国ではさ、帝国って『おっかない軍の国』って言われてるの。子どもが夜ふかしすると『帝国の兵隊さんが来るよ』って脅かされたりして」
「……そう、でしょうね」
「でもね。わたしね、帝国の人って、フィーリスさんが初めてなの」
「……はい」
「フィーリスさんは、崖を背中に九人相手に剣を下ろさなくて、目が覚めたら自分の怪我より先にわたしたちの旅の予定を心配して、お母さんの紅茶をすっごく大事に淹れる人——それが、わたしの知ってる『帝国の人』の、ぜんぶ」
だから、とキーラは笑った。
「わたしの中で帝国は、いまのところいい国だよ」
フィーリスは、しばらく何も言えなかった。
帝都のパン屋の夫婦。木剣の子どもたち。夕焼けの敬礼。守りたかったものが、遠い国の少女の中で、自分ひとりを物差しに測られている。責任の重さと誇らしさが、同じ場所で灯った。
「……その評価に恥じないように、尽力します」
「大げさだなあ」
「大げさでは、ありません。……国というものは、たぶん、そうやってできているのです。誰かの知っている、誰かの顔の集まりで。あなたの中の帝国が私なら、私の中のロイゼルは、あなたです。……責任重大ですよ、キーラさん」
「え、私も!? ……そっか。じゃあ、いっぱい笑っとこ。私の国、明るいって思われたいから」
単純で、まっすぐで、たぶん、外交の一番深いところの話だった。
交代して毛布に入った後、フィーリスは思った。この旅は、剣の使い方だけでなく、帝国の背負い方まで私に教え直すつもりらしい——と。
翌朝の当番表には、新しい項目が綺麗な字で書き足されていた。
『紅茶:フィーリス』
キーラが笑い、プシュケが頷き、当番表のその一行だけは、旅の終わりまで一度も改訂されることがなかった。