「模擬戦、しませんか」
傷が完全に塞がってから、旅の途中にフィーリスがそう言い出した。
場所は、街道から外れた河原を選んだ。開けていて人目がなく、転んでも痛くない砂地。得物は、フィーリスが枝から削った木剣と木槍である。
「谷での戦いは、見事でした。ですが、あの場は偶然が味方しています。私たちは一度、互いの戦い方を明るいところで確かめておくべきです」
「望むところ! わたし、新しい得物の練習もしたいし!」
キーラの得物は、先日の戦闘で折れた古槍の代わりに、町で購入した間に合わせの木槍だった。自分の相棒となる本式の槍は、次の大きな町で選ぶと決めてある。プシュケは錫杖を手に、少し不安げだった。
「対人の模擬戦は、初めてです。本では、読みましたが」
「実践は、本の少し外側にありますよ」
「……その言葉、身に沁みています」
✦ ✦ ✦
まず、キーラ対フィーリス。
開始の合図と同時に、キーラは風を纏って踏み込んだ。速い。若い騎士の倍は速い。その突きを——フィーリスは、半歩の移動だけでかわした。
「わ、と、とと……!?」
空を突いた勢いごと体を導かれ、キーラは三歩たたらを踏んだ。振り向いたときには、木剣の切っ先が喉元に止まっていた。
「一本。……キーラさん、良い突きです。ですが、突きに全部を乗せすぎます」
「うぐ……もう一回!」
「何度でも」
二本目、キーラは工夫した。突きを見せてからの払い。三本目は、風での目くらまし。四本目は、折れ柄で覚えた懐への潜り込み。しかしその全部が、いとも簡単にいなされた。フィーリスは一度も攻めていないのに、気づけばキーラの息だけが上がっている。
「な、なんで!? わたし、当たる気がしない!!」
「当てさせて、いないからです」
フィーリスは、盾を掲げてみせた。
「私の戦いは、これが全部です。受け、流し、崩し、味方の一撃に繋ぐ。——一人では、勝ちきれない戦い方です。だから」
にこ、と笑う。
「お二人と組むと、たぶん、とても強い」
✦ ✦ ✦
次は、プシュケ対フィーリス。
「魔導師との模擬戦は、それほど経験がありません。お手柔らかに」
「こちらこそ、です。……では」
開始と同時に、プシュケは後ろへ跳んだ。魔導師の戦いは、距離が命だ。氷華の詠唱——だが、詠唱の二拍目で、フィーリスはもう目の前にいた。
(速——)
詠唱が途切れる。魔導師の急所は、火力ではなく詠唱の時間。対魔導師戦の基本は「唱えさせないこと」。木剣の切っ先が、正確に喉元で止まった。
「一本。……ですが」
フィーリスは、自分の両足を見下ろした。踏み込んだ足首から下が、薄氷に、しっかりと縫い止められていた。
「攻撃魔法の詠唱を、囮にしましたね?」
「はい。本命は、足元の簡易詠唱でした。……相打ち、です」
「いいえ、私の負けです。実戦なら、動けない盾は、盾ではありません」
二本目から、稽古は「詠唱を守る戦い」と「詠唱を潰す戦い」の研究会になった。フィーリスは軍で使われる対魔導師戦術を惜しみなく開示し、プシュケはそれを片端から帳面に書き取った。
最後に三人での連携訓練をした。選んだ敵は、少数のワーキャットたち。
「基本の形を、提案します。敵の攻撃は、まず前衛の私が受け止めます。プシュケさんは中衛。私の肩越しに、凍らせたい敵を選んでください。キーラさんは遊撃——陣形の外を、風の速さで回ってください。崩れた敵を仕留めるのも、横をすり抜けた敵を追うのも、あなたです」
「前衛、中衛、遊撃……」
「教本どおりの、いちばん古い形です。ですが、お二人の『凍らせて、砕く』は、この形に載せると、化けます」
実際に、化けた。
フィーリスが敵の注意を集める。敵はフィーリスを崩せない。崩せないあいだに、プシュケの氷が、安全な後方から急所の足を選んで凍らせる。凍った敵を、外周を回るキーラの風が砕く。受け、止め、砕く。三拍子が、綺麗に回りはじめる。
「すごい……! わたし、思いっきり走っていいんだ!? 後ろ、気にしなくて!」
「後ろは、私が守ります。それが仕事です」
「詠唱の時間が、稼げます。……これなら、四級も、実戦で使えるかもしれません」
「頼もしいですね」
「あ、でも、四級は時間の消費が大きいので、使いどころは……フィーリスさん、軍では、どう判断するんですか」
「合図を決めます。指揮者が『使え』と言うまで温存、が基本です。……この隊の指揮者は、どうしましょうか」
「はい! はいはい! 適材適所で言うと、フィーリスさん!」
「同意見です。戦闘時の指揮は、フィーリスさんに一任を」
「……謹んで、拝命します」
指揮官殿、と二人がふざけて敬礼し、フィーリスが生真面目に答礼して、河原に笑い声が転がった。
休憩のとき、プシュケが遠慮がちに聞いた。
「フィーリスさん。あの、谷で使っていた光の盾——護盾。あれは、聖属性の三級、ですよね」
「ええ。よくご存じで」
「わたしも、聖を、少しだけ使えます。母の血です。ただ、氷ばかり伸ばしてきたので、聖は、初歩の……その、もしよければ」
「お教えします」
即答だった。プシュケが、目をしばたたく。
「軍の機密では…?」
「属性魔法は、機密ではありません。それに——あなたの詠唱を守る盾が、二枚になるなら、教えない理由がない。私が倒れた日にも、盾が残ります」
自分が倒れた日の話を、この人は装備の点検と同じ温度でする。プシュケは、その声の据わり方を、帳面の隅に書き留めた。
聖属性の初歩の講義は、十五分で終わった。プシュケの飲み込みは恐ろしく速く、その日の夕方には、手のひらの上に小さな、けれど確かな光の膜が揺れながら浮かんでいた。
「寂光……できました」
「お見事です。この調子なら、数週間で三級に届きますね」
「師の見立てが、良いので」
日が傾くまで三人は形を回し続け、回すほどに無駄が削れた。キーラの風はフィーリスの盾を避けて吹くようになり、プシュケの氷はキーラの足場を凍らせなくなり、フィーリスの盾は二人の射線を計算して立つようになった。
途中、一度だけ形が崩れた。
キーラが遊撃の距離を欲張って、陣形の外へ出すぎたのだ。ワーキャットの「奇襲」が、がら空きの背後を突きかけた。
「わっ……あ、あぶない!」
「今のが、強力な反撃をしてくる敵であれば」
「……はい、ごめんなさい」
「謝ることは、ありません。今日、ここでやられたのですから。稽古のやられは、ぜんぶ貯金です」
失敗の原因を三人で話し合い、遊撃の限界距離に目印の石を置いた。次の一回から、キーラの円は石の内側で完璧に回った。
最後の一回、ワーキャットが三体、同時に「倒れた」とき、三人は顔を見合わせて、誰からともなく、笑った。
夕食のあと、キーラはフィーリスのところへ、木槍を抱えてやってきた。
「あのね。……わたしに、槍の『型』を教えてもらえませんか」
改まった言い方だった。
「わたしの槍、ぜんぶ自己流なの。ラースさんに握りだけ直してもらって、あとは夢中でやってきただけ。……今日、フィーリスさんと打ち合って、わかったんだ。夢中だけじゃ、あの黒い人たちにはいつか届かなくなる」
「……いいのですか? 軍式の型は、地味で、退屈で、同じ動きを千回やらされますよ」
「望むところです!」
フィーリスは微笑んだ。訓練場で二百人に教えてきた最初の型を、たった一人の、いちばん熱心な生徒に。
「では、明日の朝から。——千回の一回目を、始めましょう」
そうして翌朝の河原から、フィーリス教官指導のもと、キーラの猛特訓が始まった。
構えて、突いて、戻す。それだけの動作を、フィーリスは三度直し、キーラは三度直された。父がフィーリスにしたとおりの手順で、フィーリスはキーラに教えた。肘、足幅、目線。直されるうちが、花ですよ——父の言葉が、口をついて出た。教えるとは、教わったものを次へ運ぶことらしい。
「ね、フィーリスさん。千回やったら、どうなるの?」
「千回やったら、考えなくても体が動くようになります。そうしたら」
「そうしたら?」
「——考える頭が、まるごと、仲間のために空きます」
キーラの目がまん丸になった。それから握りを確かめ直して、二回目を突いた。この日から、キーラの朝には「千回の続き」が加わり、彼女の突きが日ごとに静かに、速く、正確になっていった。
✦ ✦ ✦
夜、フィーリスは二人の寝顔を確かめてから、聖剣の手入れをした。
磨きながら、思う。
聖騎士団で組んでいた隊列は強く、二百人の鍛え抜かれた形だった。今日の三人の形は、あれに比べれば拙い。人数も、練度も、比べ物にならない。
なのに——今日の形のほうが、あたたかかった。
守るべき背中が、名前と顔と、それから声を持っている。そんな風に感じた夜は、これまでの遠征で一度もなかった。
(お父さん。私の盾は、まだちゃんと盾です。守るものが、またできました)
刃に映る焚き火が、静かに揺れた。研ぎ上がった聖印は、今夜も曇りひとつなかった。