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CHAPTER I 第5話 世界の広さ
Ourhour-Traveler

第5話 世界の広さ

第一章 導きの星 編

大広間、と呼んでいいのだろう。

岩をくり抜いた天井の高い空間に、長机と酒樽が並び、奥には奪ってきた品々が山積みされていた。麻袋、木箱、酒瓶。その山を背にして、頭領が立っていた。

首筋に古傷のある、潮に灼けた大男。倉庫の板壁の隙間から見た、あの影そのものだった。かたわらには、逃げのびた弓の女。他にも、手下がまだ数人。

「大の男が首そろえて戻らねえと思ったら……なんだぁ? 優男と、嬢ちゃんが一人ときた」

頭領は曲刀を肩に担いだまま、値踏みするようにラースを眺めた。

「てめえ、どこの手の者だ。傭兵にしちゃ荷が軽すぎる」

「通りすがりの旅人だよ」

ラースはのんびりと答えた。

「昨日、ナビアの店からリンゴを持っていったよね。あれを返してもらいに来た」

「……りんご?」

「リンゴ」

一拍おいて、頭領が吹き出した。手下たちの下卑た笑いが続く。

「りんごだとよ! おい、聞いたか! 命張って、りんご!」

ひとしきり笑ってから、頭領は曲刀を担ぎ直した。目だけが、笑っていなかった。

「——気に入った。おい嬢ちゃんのほうは殺すな。若えのは時間の搾りがいがある」

その言葉が、合図だった。

✦ ✦ ✦

最初に掛かったのは、手下の二人だった。

左右から同時に、剣と棍。ラースは前に出た。その様子は、すれ違ったようにしか見えなかったが、二拍遅れて敵が床に崩れた。

「……ちっ。役立たずどもが」

頭領の目つきが変わった。曲刀が肩から降り、切っ先が初めて、まっすぐラースへ向く。二十人の警備隊を潰した男の構えは、素人のキーラの目にも、それまでの手下たちとはまるで別物だと分かった。

次に動いたのは、弓の女だった。

矢がキーラに向かって飛ぶ。考えるより先に槍が動き、風を纏った穂先が矢を弾いた。キンッと乾いた音を立てて、矢が岩壁に跳ねる。

「ほう。ガキのくせに」

女は素早く距離を取り、次の矢をつがえながら岩屋の柱の陰へ回り込む。キーラは追いながら、視界の端にラースと頭領がぶつかるのが見えた。

——ここからは、別々の戦いだ。

敵の矢は、正確だった。

肩を掠め、頬の横を抜け、槍の柄を叩く。風があるから、かろうじて弾ける。でも、それだけだ。距離を詰めようとするたびに、次の矢が出足を止めにくる。

そして—— フゥ……、と穂先の風が弱まった。

「っ……!」

回りつづけていた風が、途切れ途切れになる。生まれたばかりの魔法は、キーラの息が上がるのと一緒に、上がったり消えたりした。

「息切れかい、嬢ちゃん」

柱の陰から、女の声が笑う。

「悪いことは言わない。槍を捨てて、うずくまってな。——あんたの時間は、あたしらが有意義に使ってやるからさ」

じり、と後ずさった踵が、壁に当たった。

壁際。矢をつがえる音。

——あんたの時間は。

その言い草が、頭のなかで昨日の光景に重なった。

こじ開けられて空っぽの鉄箱。棚から山ごと消えたリンゴ。壁の向こうの、お父さんとお母さんの声。頭を下げて延ばしてもらう支払いと、袖を通していない冬着と——それを、こいつらは。

「……有意義に、って」

声が、腹の底から出た。

「あれは、お父さんとお母さんが、働いた時間だ————っ!!」

胸の奥で、風が唸った。

途切れかけていた渦が、怒りを芯にしてもう一度強く回る。放たれた矢を、穂先が今日いちばんの音で弾き飛ばした。そのまま、止まらずに踏み込む。一歩。二歩。女が目を見開いて、次の矢を——遅い。

風を纏った石突が、女の鳩尾にまっすぐ突き込まれた。

「か……はっ……」

弓が、からんと乾いた音を立てて転がる。女は白目を剥いて、崩れ落ちた。

「はっ……、はっ……」

勝った。

そう理解した瞬間、キーラの膝がかくんと笑った。槍に縋りついて、どうにか立つ。手のひらは汗でぐっしょりで、心臓はまだ全力で走っている。

そのとき、背後で岩屋全体が震えるような音がした。

✦ ✦ ✦

振り向いた先の光景を、キーラはたぶん一生忘れない。

ラースが舞っていた。

そうとしか言えなかった。頭領の曲刀は重く、速く、一撃ごとに床の石を割った。それをラースは、短剣一本で受け流し——かと思えば、その短剣を手放して、倒れた手下の剣を爪先で蹴り上げ、掴み、二手だけ合わせてまた捨てる。

槍を拾えば槍の間合いで、棍を拾えば棍の間合いで、頭領の攻撃のことごとくを、ほんの少しだけ先に躱していく。

汗ひとつ、かいていなかった。

息も、乱れていなかった。

まるで、初めから全部の武器の使い方を知っていて、初めから頭領の全部の手を見たことがあるみたいだった。

「ちょこまか、と……!!」

頭領が吼えて、渾身の一刀を振り下ろす。

ラースはそれを避けなかった。半身で軸をずらし、柄を握る頭領の腕へ流れのままに手を添えて——次の瞬間、大男の巨体が自分の力ごと宙に浮いて、床に叩きつけられていた。

岩屋が、揺れた。

曲刀が手から離れ、遠くで鳴った。頭領は起き上がろうとして、喉元に突きつけられた短剣に、動きを止めた。

「リンゴ、返してね」

ラースは、最後まで、のんびりした声のままだった。

「————化けもんが」

頭領が仰向けのまま、掠れた声で笑った。

「お前……何年、生きてやがる」

ラースは答えなかった。

ただ静かに頭領を見下ろしたまま、なにも言わなかった。その横顔が一瞬だけ、ひどく遠いところを見ている気がして——けれどキーラがまばたきをしたときには、いつもの飄々とした旅人がそこに立っているだけだった。

(……すごい)

恐い、とは思わなかった。不思議なくらい思わなかった。

かわりに胸を満たしたのは、熱くて、落ち着かなくて、じっとしていられない初めての気持ちだった。

世界には、あんな強さがある。あんなふうに舞う人がいて、わたしの知らない場所をだいたいで歩いている。

————世界って、こんなに広い。

膝はまだ笑っていたけれど、キーラはその光景から目を離せなかった。

✦ ✦ ✦

海賊たちを縛り上げて回るのは、思ったより力仕事だった。

「ラースさん、縄、もうないです」

「帆綱があった。これ使お」

頭領は特別に、桟橋の杭へ厳重にくくりつけた。目を覚ました手下の何人かが往生際悪く喚いたが、ラースがにこりと笑うと、静かになった。

蔵の戸を開けたとき、キーラは思わず声を上げた。

食料の山。麻袋の豆、干し魚の箱、酒、粉——そして、木箱にぎっしりの時元コイン。町から奪われた、みんなの時間だ。奥には、見覚えのありすぎるリンゴの山もあった。

その手前に、蓋の歪んだ鉄箱を見つけて、キーラは駆け寄った。

底の角の古い凹み。お父さんが若いころに落として付けた、と何度も聞かされた凹みだ。中にはコインが乱暴に詰め直されている。お父さんとお母さんの、何年ぶんかの時間。

キーラは重い鉄箱を、ぎゅうと胸に抱えた。この重さのぶんだけ、二人は働いたのだ。

「あった?」

「……ありました。ぜんぶ、あった」

「あった、うちのリンゴ! ……で、でも、これ、どうやって町まで……」

荷車を探しても、二人で運べる量じゃない。キーラが腕組みをしていると、ラースはなぜか、入り口から外をひょいと確かめた。確認したところ、誰もいない。聞こえるのは波の音だけ。

それから、ぱちん、と指を鳴らした。

蔵の中身が————消えた。

「……………………え?」

食料の山も、コインの箱も、リンゴも。あったはずの場所に、床の埃だけが残っている。

「え!? え、消え……荷物が、ぜんぶ……!?」

「ん。珍しいでしょ」

ラースは、なんでもないことみたいに手のひらを見せた。

「ボクにしか使えない類のやつ。町に着いたら、ちゃんと出すよ。——内緒ね」

人差し指が、唇の前に立てられる。

聞きたいことは、山ほどあった。でも、その「内緒ね」の言い方が、あんまり自然で、あんまり楽しそうだったから——キーラは結局、こう返すことしかできなかった。

「……芋餅、二つ食べた人の言うことだからなあ」

「それとこれとは別の話」

✦ ✦ ✦

帰り道は、砂浜の手当てから始まった。

キーラは倒れている隊員をひとりずつ仰向けにして、傷口を洗い、持っていた布を裂いて縛った。すると三人目で、見知った顔に手が止まった。昨日の夕方に店へ聞き取りに来た、あの若い隊員だった。額に傷はあるが、息はしっかりしている。

「……よかったぁ」

声に出たら、鼻の奥がつんとした。港を空けてたばかりに、と手帳を握りしめていた人が、夜明け前にいちばんに志願したのだろうことは、聞かなくても分かる気がした。自然と手が、布をいちばん丁寧に巻いた。

ラースも手伝ってくれた。

その手つきを見て、キーラはふと、妙な感じがした。

丁寧なのだ。手早いのに、ひどく丁寧で——傷を治す人というより、眠る人を起こさないようにする人の手つきに近い気がした。戦い慣れ、というのとは何かが違う。もっと静かな、もっと悲しい場所で身についたような手の動きだった。

どうしてそう思ったのかは、自分でも分からなかった。

「……ん。この人が隊長かな。起きそうだよ」

隊長が呻いて目を開けたとき、空はもう夕方の色だった。事情を聞いた隊長は、縛られた海賊たちと頭領を見てしばらく言葉を失い、それから深々と頭を下げた。

「討伐の手柄は、あんたたちの、」

「いらない」

ラースは即答した。

「手柄はナビア警備隊のもの。ボクはリンゴが返ればいい。……ね、キーラ」

「えっ、あ、はい! わたしは、その、仕入れに来ただけなので!」

隊長は、『よく分からない』という顔で、それでももう一度深く頭を下げた。

夕暮れの街道を、キーラとラースは並んで歩いた。崖の下でずっと、海が金色に光っていた。

疲れているはずなのに、足は不思議と軽かった。手のひらにはまだ槍の熱が残っていて、胸の奥では——あの小さな風が、まだ静かに回りつづけている気がした。

坂を上りきると、遠くにナビアの灯が見えた。

皆さんからいただいた時間 12.65Ø
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