大広間、と呼んでいいのだろう。
岩をくり抜いた天井の高い空間に、長机と酒樽が並び、奥には奪ってきた品々が山積みされていた。麻袋、木箱、酒瓶。その山を背にして、頭領が立っていた。
首筋に古傷のある、潮に灼けた大男。倉庫の板壁の隙間から見た、あの影そのものだった。かたわらには、逃げのびた弓の女。他にも、手下がまだ数人。
「大の男が首そろえて戻らねえと思ったら……なんだぁ? 優男と、嬢ちゃんが一人ときた」
頭領は曲刀を肩に担いだまま、値踏みするようにラースを眺めた。
「てめえ、どこの手の者だ。傭兵にしちゃ荷が軽すぎる」
「通りすがりの旅人だよ」
ラースはのんびりと答えた。
「昨日、ナビアの店からリンゴを持っていったよね。あれを返してもらいに来た」
「……りんご?」
「リンゴ」
一拍おいて、頭領が吹き出した。手下たちの下卑た笑いが続く。
「りんごだとよ! おい、聞いたか! 命張って、りんご!」
ひとしきり笑ってから、頭領は曲刀を担ぎ直した。目だけが、笑っていなかった。
「——気に入った。おい嬢ちゃんのほうは殺すな。若えのは時間の搾りがいがある」
その言葉が、合図だった。
✦ ✦ ✦
最初に掛かったのは、手下の二人だった。
左右から同時に、剣と棍。ラースは前に出た。その様子は、すれ違ったようにしか見えなかったが、二拍遅れて敵が床に崩れた。
「……ちっ。役立たずどもが」
頭領の目つきが変わった。曲刀が肩から降り、切っ先が初めて、まっすぐラースへ向く。二十人の警備隊を潰した男の構えは、素人のキーラの目にも、それまでの手下たちとはまるで別物だと分かった。
次に動いたのは、弓の女だった。
矢がキーラに向かって飛ぶ。考えるより先に槍が動き、風を纏った穂先が矢を弾いた。キンッと乾いた音を立てて、矢が岩壁に跳ねる。
「ほう。ガキのくせに」
女は素早く距離を取り、次の矢をつがえながら岩屋の柱の陰へ回り込む。キーラは追いながら、視界の端にラースと頭領がぶつかるのが見えた。
——ここからは、別々の戦いだ。
敵の矢は、正確だった。
肩を掠め、頬の横を抜け、槍の柄を叩く。風があるから、かろうじて弾ける。でも、それだけだ。距離を詰めようとするたびに、次の矢が出足を止めにくる。
そして—— フゥ……、と穂先の風が弱まった。
「っ……!」
回りつづけていた風が、途切れ途切れになる。生まれたばかりの魔法は、キーラの息が上がるのと一緒に、上がったり消えたりした。
「息切れかい、嬢ちゃん」
柱の陰から、女の声が笑う。
「悪いことは言わない。槍を捨てて、うずくまってな。——あんたの時間は、あたしらが有意義に使ってやるからさ」
じり、と後ずさった踵が、壁に当たった。
壁際。矢をつがえる音。
——あんたの時間は。
その言い草が、頭のなかで昨日の光景に重なった。
こじ開けられて空っぽの鉄箱。棚から山ごと消えたリンゴ。壁の向こうの、お父さんとお母さんの声。頭を下げて延ばしてもらう支払いと、袖を通していない冬着と——それを、こいつらは。
「……有意義に、って」
声が、腹の底から出た。
「あれは、お父さんとお母さんが、働いた時間だ————っ!!」
胸の奥で、風が唸った。
途切れかけていた渦が、怒りを芯にしてもう一度強く回る。放たれた矢を、穂先が今日いちばんの音で弾き飛ばした。そのまま、止まらずに踏み込む。一歩。二歩。女が目を見開いて、次の矢を——遅い。
風を纏った石突が、女の鳩尾にまっすぐ突き込まれた。
「か……はっ……」
弓が、からんと乾いた音を立てて転がる。女は白目を剥いて、崩れ落ちた。
「はっ……、はっ……」
勝った。
そう理解した瞬間、キーラの膝がかくんと笑った。槍に縋りついて、どうにか立つ。手のひらは汗でぐっしょりで、心臓はまだ全力で走っている。
そのとき、背後で岩屋全体が震えるような音がした。
✦ ✦ ✦
振り向いた先の光景を、キーラはたぶん一生忘れない。
ラースが舞っていた。
そうとしか言えなかった。頭領の曲刀は重く、速く、一撃ごとに床の石を割った。それをラースは、短剣一本で受け流し——かと思えば、その短剣を手放して、倒れた手下の剣を爪先で蹴り上げ、掴み、二手だけ合わせてまた捨てる。
槍を拾えば槍の間合いで、棍を拾えば棍の間合いで、頭領の攻撃のことごとくを、ほんの少しだけ先に躱していく。
汗ひとつ、かいていなかった。
息も、乱れていなかった。
まるで、初めから全部の武器の使い方を知っていて、初めから頭領の全部の手を見たことがあるみたいだった。
「ちょこまか、と……!!」
頭領が吼えて、渾身の一刀を振り下ろす。
ラースはそれを避けなかった。半身で軸をずらし、柄を握る頭領の腕へ流れのままに手を添えて——次の瞬間、大男の巨体が自分の力ごと宙に浮いて、床に叩きつけられていた。
岩屋が、揺れた。
曲刀が手から離れ、遠くで鳴った。頭領は起き上がろうとして、喉元に突きつけられた短剣に、動きを止めた。
「リンゴ、返してね」
ラースは、最後まで、のんびりした声のままだった。
「————化けもんが」
頭領が仰向けのまま、掠れた声で笑った。
「お前……何年、生きてやがる」
ラースは答えなかった。
ただ静かに頭領を見下ろしたまま、なにも言わなかった。その横顔が一瞬だけ、ひどく遠いところを見ている気がして——けれどキーラがまばたきをしたときには、いつもの飄々とした旅人がそこに立っているだけだった。
(……すごい)
恐い、とは思わなかった。不思議なくらい思わなかった。
かわりに胸を満たしたのは、熱くて、落ち着かなくて、じっとしていられない初めての気持ちだった。
世界には、あんな強さがある。あんなふうに舞う人がいて、わたしの知らない場所をだいたいで歩いている。
————世界って、こんなに広い。
膝はまだ笑っていたけれど、キーラはその光景から目を離せなかった。
✦ ✦ ✦
海賊たちを縛り上げて回るのは、思ったより力仕事だった。
「ラースさん、縄、もうないです」
「帆綱があった。これ使お」
頭領は特別に、桟橋の杭へ厳重にくくりつけた。目を覚ました手下の何人かが往生際悪く喚いたが、ラースがにこりと笑うと、静かになった。
蔵の戸を開けたとき、キーラは思わず声を上げた。
食料の山。麻袋の豆、干し魚の箱、酒、粉——そして、木箱にぎっしりの時元コイン。町から奪われた、みんなの時間だ。奥には、見覚えのありすぎるリンゴの山もあった。
その手前に、蓋の歪んだ鉄箱を見つけて、キーラは駆け寄った。
底の角の古い凹み。お父さんが若いころに落として付けた、と何度も聞かされた凹みだ。中にはコインが乱暴に詰め直されている。お父さんとお母さんの、何年ぶんかの時間。
キーラは重い鉄箱を、ぎゅうと胸に抱えた。この重さのぶんだけ、二人は働いたのだ。
「あった?」
「……ありました。ぜんぶ、あった」
「あった、うちのリンゴ! ……で、でも、これ、どうやって町まで……」
荷車を探しても、二人で運べる量じゃない。キーラが腕組みをしていると、ラースはなぜか、入り口から外をひょいと確かめた。確認したところ、誰もいない。聞こえるのは波の音だけ。
それから、ぱちん、と指を鳴らした。
蔵の中身が————消えた。
「……………………え?」
食料の山も、コインの箱も、リンゴも。あったはずの場所に、床の埃だけが残っている。
「え!? え、消え……荷物が、ぜんぶ……!?」
「ん。珍しいでしょ」
ラースは、なんでもないことみたいに手のひらを見せた。
「ボクにしか使えない類のやつ。町に着いたら、ちゃんと出すよ。——内緒ね」
人差し指が、唇の前に立てられる。
聞きたいことは、山ほどあった。でも、その「内緒ね」の言い方が、あんまり自然で、あんまり楽しそうだったから——キーラは結局、こう返すことしかできなかった。
「……芋餅、二つ食べた人の言うことだからなあ」
「それとこれとは別の話」
✦ ✦ ✦
帰り道は、砂浜の手当てから始まった。
キーラは倒れている隊員をひとりずつ仰向けにして、傷口を洗い、持っていた布を裂いて縛った。すると三人目で、見知った顔に手が止まった。昨日の夕方に店へ聞き取りに来た、あの若い隊員だった。額に傷はあるが、息はしっかりしている。
「……よかったぁ」
声に出たら、鼻の奥がつんとした。港を空けてたばかりに、と手帳を握りしめていた人が、夜明け前にいちばんに志願したのだろうことは、聞かなくても分かる気がした。自然と手が、布をいちばん丁寧に巻いた。
ラースも手伝ってくれた。
その手つきを見て、キーラはふと、妙な感じがした。
丁寧なのだ。手早いのに、ひどく丁寧で——傷を治す人というより、眠る人を起こさないようにする人の手つきに近い気がした。戦い慣れ、というのとは何かが違う。もっと静かな、もっと悲しい場所で身についたような手の動きだった。
どうしてそう思ったのかは、自分でも分からなかった。
「……ん。この人が隊長かな。起きそうだよ」
隊長が呻いて目を開けたとき、空はもう夕方の色だった。事情を聞いた隊長は、縛られた海賊たちと頭領を見てしばらく言葉を失い、それから深々と頭を下げた。
「討伐の手柄は、あんたたちの、」
「いらない」
ラースは即答した。
「手柄はナビア警備隊のもの。ボクはリンゴが返ればいい。……ね、キーラ」
「えっ、あ、はい! わたしは、その、仕入れに来ただけなので!」
隊長は、『よく分からない』という顔で、それでももう一度深く頭を下げた。
夕暮れの街道を、キーラとラースは並んで歩いた。崖の下でずっと、海が金色に光っていた。
疲れているはずなのに、足は不思議と軽かった。手のひらにはまだ槍の熱が残っていて、胸の奥では——あの小さな風が、まだ静かに回りつづけている気がした。
坂を上りきると、遠くにナビアの灯が見えた。