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CHAPTER I 第6話 リンゴと宴
Ourhour-Traveler

第6話 リンゴと宴

第一章 導きの星 編

店の灯りが見えたとき、その灯りより先にお母さんが飛び出してきた。

「キーラ!!」

息が止まるかと思うくらい、強く抱きしめられた。それから体を離されて、頭にげんこつが落ちた。

「いったぁ……」

「『仕入れに行ってきます』!? あなたねえ……! 組合から帰ってきたら書き置き一枚で、心臓が止まるかと思ったわよ!!」

「ご、ごめんなさい。でも、ほら、無事だし……」

「無事じゃなかったらどうしてたの!!」

ごもっともすぎて、何も言えなかった。

お父さんは黙ってキーラの頭に手を置き、くしゃくしゃと撫でた。怒鳴られるより、そのほうがずっと効いた。それから、後ろに立つ白髪の旅人に目を留める。

「……そちらさんは?」

「ラース。しがない旅人。娘さんとは——リンゴ仲間」

「リンゴ仲間」

事情を全部話し終えるまでに、お茶が三杯いった。

海賊の根城。壊滅していた警備隊。幹部との戦い。奪われた品物の回収。話が進むごとにお母さんの顔から血の気が引いていき、「海賊の根城ぉ!?」と途中でもう一発げんこつが落ちた。

いちばん驚かれたのは、魔法の話だった。

「キーラが、魔法……?」

「風の魔法。槍にこう、風がしゅるしゅるって……自分でもよく分かってないんだけど」

「うちは代々、そろばんの家系だぞ。爺さんも婆さんも、魔法なんてからっきしだ」

「素質は、家系だけで決まるものじゃないよ」

ラースがのんびりと口を挟んだ。

「娘さんのは、元から本人の中にあったもの。ボクはちょっと、扉を叩いただけ」

両親は顔を見合わせた。それから二人そろって、娘の顔を初めて見るもののように、まじまじと見た。ちょっとやめてほしい。

最後には二人とも、言葉をなくして黙り込んだ。

長い沈黙のあと、お父さんが立ち上がって、ラースに深々と頭を下げた。

「……うちの娘が、世話になりました」

「ん。娘さんは、勇敢だったよ」

その一言に、お父さんの眉がぐっと歪んで、また元に戻った。泣くのを堪えた顔だと、キーラが気づかないふりをできる程度にはすぐに戻った。

宿を取ると言うラースを、両親は許さなかった。命の恩人を宿になんて泊められるか、というわけで、ラースはその晩から店の二階の客間に収まった。

✦ ✦ ✦

夜更け。家じゅうが寝静まったころ、キーラとラースはこっそり裏の蔵へ下りた。

「誰もいない?」

「いません。……たぶん」

「たぶん、かあ」

ラースは蔵の戸を開け、中と、外と、屋根の上まで確かめてから——ぱちん、と指を鳴らした。

空っぽだった蔵が、一瞬で満杯になった。

麻袋の豆。干し魚の箱。粉の樽。時元コインの箱と、うちの鉄箱。そして、艶のいいリンゴの山。月明かりの下で、それはちょっとした宝の山に見えた。

「……何回見ても、すごい」

「明日の朝、ご両親の顔が見ものだね」

「なんて説明しよう……」

「『仕入れてきました』でいいんじゃない? 書き置きのとおり。嘘じゃないし」

✦ ✦ ✦

翌朝、キーラはお父さんの叫び声で目を覚ました。

蔵の前で、両親そろって腰を抜かしていた。

「ど、どうやって運んだんだ、これ……!? 荷車の跡もないぞ!?」

「き、企業秘密です」

「企業秘密って、お前……」

ラースは素知らぬ顔で、朝いちばんのリンゴを齧っていた。

✦ ✦ ✦

昼過ぎ、警備隊が戻ってきた。

縛られた海賊たちが数珠つなぎで大通りを歩かされ、しんがりの荷車には、ぐるぐる巻きの頭領。沿道は大変な騒ぎになった。罵声を飛ばす人、泣き出す人、万歳をする人。

そして警備隊の詰所の前で、奪われていた時元コインと時間の返却が始まった。

名前を呼ばれた人が進み出て、係の隊員と右手を握り、手首を捻る。そのたびに、誰かの数ヶ月が、誰かの数年が、持ち主のところへ帰っていく。列はいつまでも途切れなかった。

列の中ほどに、サリおばあちゃんの姿があった。

返ってきたのは、ほんの数十Øぶんだったらしい。それでもおばあちゃんは、返却の握手を終えた自分の手首を、しばらくじっと眺めて——それから、袖でそっと目元を押さえた。

キーラは、見なかったふりをした。かわりに、明日の朝いちばんの魚を、二匹よけいに取っておこうと決めた。

「オーレン製パン、粉三箱と——」

「うちの秤! 秤も戻ってきた!」

ルカの家に粉が戻り、夕方には窯の煙突からいつもの倍の煙が上がりはじめた。

「今夜は宴だぞーっ!!」

誰かが叫んで、町が沸いた。

✦ ✦ ✦

広場には成星式の飾りがそのまま残っていた。二日遅れの、祭りのやり直しだった。

屋台に火が入り、樽が開き、笛と太鼓が今度こそ最後まで鳴り響く。主賓の席に据えられたラースは、質問攻めにあいながら、のらりくらりと躱し、その膝には貢ぎ物のリンゴが山と積まれていた。リンゴの山を見ると、上機嫌だった。

「あんた、命の恩人だ」

お父さんが酒盃を片手に、あらためて言った。

「礼は何でもする。言ってくれ」

「じゃあリンゴ。あるだけ」

「……いや、遠慮するな。金でも、店の品でも」

「リンゴ。あるだけ」

「…………はっはっは! 変わり者だ!」

サリおばあちゃんはラースの隣に陣取って、せっせと皿に料理を積み上げていたし、ルカは「あんたが例の旅人か」と目を輝かせて、握手を求めていた。額に布を巻いた若い隊員も、松葉杖をつきながら挨拶に来た。

「あんたたちのことは、隊長から聞いた。……その、なんと言ったらいいか」

「リンゴが返ればいいの。乾杯だけしてって」

キーラはキーラで、大変だった。

「マルコんとこの娘が、槍で海賊を八人倒したんだと」

「風を纏ってたって話だぜ。魔法だ、魔法」

「〝風の嬢ちゃん〟だな!」

「ち、違……いや違わないんだけど、八人じゃなくて、その、勢いというか……!」

尾ひれはもう、キーラの手の届かないところを泳いでいた。

「〝風の嬢ちゃん〟ね」

隣に来たルカが、焼きたてのパンを差し出しながらニヤニヤした。

「二日前まで、リンゴ数えてた人が」

「今も数えてます。本業は商人です」

「……でもさ」

ルカは急に、声を落とした。

「かっこよかったって、みんな言ってる。俺も、そう思う。……ありがとな。うちの粉も取り返してくれて」

「……どういたしまして」

新成人は礼だけ言うと、さっさと友達の輪へ戻っていった。照れているのが背中から分かって、キーラはちょっと笑った。

お母さんを探すと、壁に立てかけたキーラの古槍を、複雑な顔で眺めていた。お父さんはその隣で酒盃を傾けながら、「商人の娘が槍働きとはなあ」と、困ったような、どこか誇らしいような声で笑っていた。

✦ ✦ ✦

夜が更けて、宴の輪が少しずつ小さくなったころ。

酒場の隅の席は、祭りの中の凪だった。

「ラースさん。旅の話、聞かせてください」

ラースは葡萄水の杯を置いて少しだけ考え、それから、ぽつり、ぽつりと話しはじめた。

南の果ての、空が緑色に暮れる土地の話。夕暮れどきになると、空も海も丘も、ぜんぶ同じ緑に染まって、どこまでが世界でどこからが空か、分からなくなるのだという。

「綺麗、でしょうね」

「うん。……でも、三日いると飽きるよ。緑ばっかりで」

「言い方!」

図鑑のどこにも載っていない、名前のない魔物の話。静かで、綺麗で、誰にも見つからないまま生きて、誰にも見つからないまま消えていく生き物たち。

歩いても歩いても地図の白いままの、未開の地の話。

「北の果てには、季節がぜんぶ冬の土地もあるよ。海も、滝も、みんな凍ったまま。氷の下に、太古のなにかが眠ってる——なんて話も、あったかな」

「見たんですか?」

「さあ。……氷は、覗き込むと吸い込まれそうになるから、あんまり長く見ないことにしてる」

キーラは、瞬きも忘れて聞いた。ナビアの海しか知らない自分の中に、見たこともない景色が次々と灯っていく。胸の奥がむずむずして、じっと座っているのが難しいくらいだった。

——いつか。

言葉になる前のそのひとかけらだけが、胸の底にぽとりと落ちた。

「あとは——そうだな。リゴース、って果実の話」

「リゴース?」

「世界でいちばん美味い果実。リンゴのご先祖様、みたいなものかな。滅多なことじゃ実らなくて、実がなると、中に種が十二粒入ってる」

「十二粒……縁起がいいんですね」

「うん。——とても」

ラースはそこで言葉を切って、手の中のリンゴをゆっくりとひと口齧った。

「リンゴってさ、いいよね。どこで食べても、はずれがない」

それは質問の答えみたいな言い方だったけれど、誰も何も聞いていなかった。

「あの。ラースさんは……なんのために、旅をしてるんですか」

聞いてから、少し不躾だったかなと思った。

ラースはすぐには答えなかった。

ほんの一瞬——瞬きひとつぶんの、間があった。

「…………探しものかな。うん、探しもの」

声はいつもどおり軽かった。話はそこから、また別の土地の笑い話に移っていった。だからそれきりになったのだけれど——その瞬きひとつぶんの間を、なぜだかキーラは、ずっとあとまで覚えていることになる。

そういえば、と、ふと気づいた。

この人は宴のあいだじゅう、一度も上着を脱いでいない。袖もまくらない。火照るほど賑やかな夜なのに。暑くないのかなと思って、キーラはそれきり忘れた。誰も、気に留めていなかった。

窓の外では、星が冴えていた。

「……星が、綺麗な夜だ」

ラースがぽつりと言った。それは今夜いちばん、静かな声だった。

宴の灯が、ひとつ、またひとつ消えていく。旅人の隣で、キーラはいつまでも旅の話を聞いていたかった。

皆さんからいただいた時間 12.49Ø
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